30 June 2013

Basement 5 ‎– 1965 - 1980 [LP/Island Records ‎ILPS 9641 1980 UK]

Basement 5 (ベースメント・ファイヴ)は1978年英国ロンドンで結成されたレゲエ経由のPost-Punkバンド。メンバー全員黒人だった事とそのサウンドから「黒いP.I.L.」と言われた。彼らはP.I.L.の1978年のクリスマスにレインボーで行われたライブのサポートでデビューする。メンバーチェンジが多かったこのバンドは当初、ボーカルをWinston Fergusが担当し、その後、一時的にクラブ"Roxy"のDJだったDon Lettsに、そして最終的にはP.I.L.のJohn Lydonの友人Dennis Morris が受け継いた。ドラム担当の方は当初、Anthony Thompsonだったがアルバム制作の初日に離脱し、元The 101ers、P.I.L.のRichard Dudanski が新メンバーとして加わる。そして、J.R.ことHumphrey Murray (guitar)、Leo Williams (bass)らが主要メンバーである。メンバーの経歴が凄いのでざっと紹介すると、ボーカルのDennis MorrisはSex PistolsやBob Marleyなどの写真で知られる 著名なロック写真家で、バンドでは作詞も手がけ、ジャケットに使用されたロゴ・デザインも担当した。因みにP.I.L.の2ndアルバム「Metal Box」のフィルム缶に収めるというアイデアも彼の発案だった。元ボーカルのDon LettsもJohn Rydonの友人で彼とP.I.L.のベーシストJah Wobbleにレゲエを紹介した人物である。Richard Dudanskiは後にドラマーとしてThe Raincoatsにも参加していて、さらにLeo Williamsはバンド解散後に先に紹介したDon Lettsと元The CrushのMick Jonesが結成したBig Audio Dynamiteに参加するなど才能溢れる凄いメンツがこのバンドには揃っていた。彼らの曲は当時の英国の若者の高い失業率、労働者階級の貧困によるストライキ、また人種差別などのMargaret Thatcher政権を痛烈に批判する内容が中心であった。「1965 - 1980」と題されたアルバムは彼らのデビュー・アルバムであり唯一のアルバムである。1980年の8月に録音され、プロデューサーにはFactory RecordsのJoy Division、A Certain RatioなどのプロデュースでおなじみのMartin Hannettが担当した。意外な組み合わせではあるが、Martin Hannettお得意のノイジーなドラムサウンドとノイジーなギター、そしてレゲエ特有のダブが融合したPost-Punkの大傑作。警察のサイレンをイメージしたギター・リフでスタートするA1.Riot、シングルになったB1.Last White Christmasはこのアルバムのベスト・トラック。これだけのメンツが揃い、音も素晴らしいのだが、意外にも地下に埋もれた存在になってしまっている所が残念だ。P.I.L.やGang Of Four、Killing JokeなどのPost-Punkが好きな人には是非お薦めの作品。


《Track List》
A1.Riot
A2.No Ball Games
A3.Hard Work
A4.Immigration
B1.Last White Christmas
B2.Heavy Traffic
B3.Union Games
B4.Too Soon
B5.Omega Man


23 June 2013

The Specials ‎– Specials [LP/Two-Tone Records ‎– CDL TT 5001 1979 UK]

The Specials (ザ・スペシャルズ)は1977年に英国中部の工業都市コヴェントリーで結成された白人と黒人の混成バンドでレゲエ・バンドThe Automaticsがその前身である。オリジナルメンバーはリーダーのJerry Dammers (vo,key)、Sir Horace Gentleman (b)、Lynval Golding (g)の3人で、その後、Terry Hall (vo)、Neville Staple (vo,per)、Roddy Byers (g)、が加わった。1978年夏のThe Clashの"One People Tour"の前座に起用されるが、同名のバンドがレコード会社と契約を結んだことを知った彼らは急遽"The Specials"と改名した。1979年に自らのレーベル"2 tone"を設立するが、名称は白人、黒人の混成バンドに因んで付けられ、白と黒の市松模様がレーベルのトレード・マークになった。1stシングル「Gangstars」のレコーディング前にJohn Bradbury (ds)が加わり、The Specialsは7人編成のバンドになる。1979年7月にリリースされた1stシングル「Gangstars」はRough Tradeの援助を受けて発売されると大ヒットとなって全英チャート6位を記録した。これで注目を浴びた彼らはメジャーのレコード会社の争奪戦の末、2 Toneレーベル全体との契約条件を申し出たCrysalisと配給契約を結ぶ。2 ToneレーベルからはMadness、The Selecter、The Beatなどを輩出するなど、2 Toneスカ・ブームを巻き起こした。当時、音楽の世界ではほとんど断絶していた白人と黒人移民が一緒にバンドを組み、音楽そのものを混血させたのは彼らが元祖である。この「Specials」は1979年10月に発売された彼らのデビューアルバム。プロデュースはElvis Costelloが担当した。元々、結成当初の彼らはパンキー・レゲエなサウンドを目指していていたが、この両者の融合は結果的に上手く行かず、試行錯誤の末に行き着いたのがスカのテンポを上げての融合だった。この目論みは見事に成功し、ジャマイカの60年代スカの細切れビートとパンクのスピーディーで激しいエネルギーで増幅させ、それらを見事に融合させたハイブリッド・サウンドである。もちろん本物のレゲエやスカなどに比べればビートは前のめりで、Terry Hallのボーカルは線の細さを感じさせるが、これが却ってリアルなストリート感覚を表現している。また、プロデューサーのElvis Costelloがあえて手を加えなかったこともあり、バンドの生のエネルギーが余すところなく収められている。このアルバムは後に世界中からフォロワーを生み出すスカ系のバンドの原型となった名盤である。


《Track List》
A1.A Message To You Rudy
A2.Do The Dog
A3.It's Up To You
A4.Nite Klub
A5.Dosn't Make It Alright
A6.Concrete Jongle
A7.Too Hot
B1.Monkey Man
B2.(Dawning Of A) New Era
B3.Blank Expression
B4.Stupid Marriage
B5.Too Mach Too Young
B6.Little Bitch
B7.You're Wondering Now


7 June 2013

The Cure - Three Imaginary Boys [LP/Fiction FIX-1 1979 UK]

The Cure (ザ・キュアー)は1976年英国サセックス州のクローリーで当時アート・スクールの学生だったRobert Smith (vocals,gaiter)を中心に同級生のMichael Dempsey (bass)、Laurence Tolhurst (drums,key)らで結成されたスリー・ピース・バンドEasy Cureが母体である。Easy Cure時代は比較的オーソドックスなパンク・サウンドを演奏していた。1978年にインディー・レーベルのSmall WonderからThe Cureとして「Killing An Arab」でデビューする。この曲はフランスの小説家Albert Camusの「L'Étranger = 異邦人」をモチーフにしている作品だが当時のジャーナリストの評価は芳しくなかった。その後、彼らはChris Parryの目に留まり、彼がPolydorの傘下に設立したばかりのFiction Recordsと契約する。レーベル第1号アーティストとして翌年の1979年の2月にデビュー・シングルの「Killing An Arab」を再発し、同年5月にリリースされたのが彼らのデビュー・アルバム「Three Imaginary Boys」だ。このアルバムはシングル曲が1曲も入っていないにも関らず全英チャート44位まで上昇した。Post-Punk期の真っ只中にリリースされたこの作品は彼らがダーク・ウェイブに変化する前のPost-Punk的サウンドを聴く事が出来る貴重なデビュー作で、彼らの歴史を知る上で重要な1枚であろう。さて、音の方は、かなりシンプルで隙間の多いチープな感触だが、スカスカのギター・サウンドながらRobert Smith独特の捻くれたアレンジとポップセンスが生み出すクールな空間は彼らならではの個性を早くも発揮している。特にA3.Grinding Haltはアップテンポのリズムにキャッチーなメロディでシングルに匹敵する好ナンバー。その後、彼らは間髪入れずに初期を代表する名曲「Boys Don't Cry」、「Junping Sometone Else's Train」のシングル2枚をリリース。残念ながら、それに前後してオリジナル・メンバーのMichael Dempseyが脱退。新たにSimon Gallup とMatthieu Hartleyが加わって4人組となり、Robert SmithはSiouxsie and the Bansheesのツアーにギタリストとして参加している。尚、このアルバムには上記のシングル曲は収録されていないが、翌年1980年に米国ツアーの際に発表された編集盤は「Three Imaginary Boys」から9曲とシングルの3曲を加え「Boys Don't Cry」として発売されている。


《Track List》
A1.10:15 Saturday Night
A2.Accuracy
A3.Grinding Halt
A4.Another Day
A5.Object
A6.Subway Song
B1.Foxy Lady
B2.Meathook
B3.So What?
B4.Fire In Cairo
B5.It's Not You
B6.Three Imaginary Boys
B7.The Weedy Burton


6 June 2013

Depeche Mode - Speak & Spell [LP/Mute STUMM 5 1981 UK]

Depeche Mode(デペッシュ・モード)は1980年に英国エセックス州バジルトンで結成されたエレクトロ・ポップ・バンド。バンド名はフランスのファッション雑誌"Dépêche mode"から引用して名付けられた。元々は、1979年にVince ClarkeとMartin Goreが組んでいたFranch Lookというバンドが母体で、その後の1980年にAndrew Fletcherとボーカル担当のDave Gahanが加入して4人組として活動する。結成当初は、ギター、ベース、シンセサイザーという普通のバンド編成だったが、後に4人のメンバー全員シンセサイザーを演奏する変わったスタイルになった。彼らの最初の正式な楽曲は、1981年にリリースされたStevo率いるSome Bizzareレーベルのコンピレーション・アルバム「Some Bizzare Album」に収められた「Photographic」である。このアルバムにはSoft Cell、The Theも参加していた。しかし、StevoはDepeche Modeはポップ過ぎてありきたりという事で契約は見送られ、彼はSoft CellとThe Theと契約する。ただ、その後のSome Bizzareと所属アーティスト間の様々なトラブルを見る限り、ここで正式契約のオファーがなかったのは寧ろ、運が良かったと言えよう。そして、このアルバムの彼らのエレクトロ・サウンドを評価していたDaniel MillerのMute Recordsと契約。この契約は彼らの、そしてMuteにとって重要なターニングポイントとなった。1981年にMuteからデビュー・シングル「Dreaming Of Me」を発表し、全英チャート57位を記録する。3ヶ月という短いインターバルでリリースされた2ndシングル「New Life」は全英チャート11位まで上昇。そして、3rdシングル「Just Can't Get Enough」は全英チャート8位のスマッシュヒットになり、初期の代表作となった。このアルバム「Speak & Spell」は1981年に発表された彼らのデビューアルバムである。タイトルのSpeak & Spellは米国のTexas Instuments社の子供用玩具の名前である。このアルバムではほとんどの楽曲をVince Clarkeが書いており、曲調やインストの感触は後のYazoo、Erasureに繋がるもので、アナログ・シンセを駆使したエレクトロ・ポップ・サウンドを聴く事が出来る。アルバム全曲で軽快なポップ・サウンドが展開されるが日本でもTVCMに使われた「Just Can't Get Enough」は未だ色褪せない名曲だ。このアルバムを最後にVince Clarkeはバンドを脱退して、それ以降Depeche Modeはサウンドを変質させて行くが個人的には、この1stアルバムがベストだと思っている。


《Track List》
A1.New Life
A2.I Sometimes Wish I Was Dead
A3.Puppets
A4.Boys Say Go!
A5.Nodisco
A6.What's Your Name?
B1.Photographic
B2.Tora! Tora! Tora!
B3.Big Muff
B4.Any Second Now (Voices)
B5.Just Can't Get Enough


4 June 2013

Soft Cell ‎– Non-Stop Erotic Cabaret [LP/Some Bizzare BZLP 2 1981 UK]


Soft Cell(ソフト・セル)は1978年に英国の地方都市リーズでMark Armond(vocals)、Dave Ball(synthesizers)を中心に結成されたエレクトロ・ポップ・デュオ。1980年代のニューウェイブを代表するグループである。彼らはリーズのアートスクールで出会い、エレクトロ・ミュージック好きで特にSuicideに影響されていたMark Armondとノーザン・ソウルと60年代のポップ・ミュージック好きだったDave Ballの趣味がぶつかり合う事で誕生した。1980年に自身のレーベルA Big Frock Recordからデビューシングル「Mutant Moments」発表する。これはDave Ballの母親から借りた資金で製作され限定2000枚でプレスされたが2000枚というわずかな枚数のリリースの為、ファンの間ではかなりのコレクターズ・アイテムになっている。このシングルがSome BizzareレーベルのStevoの興味を引いた彼らは1981年にStevoが自費でリリースするレーベル初のコンピレーションアルバム「Some Bizzare Album」に「The Girl With A Patent Leather Face」という曲で参加する。このアルバムには、当時無名のDepeche ModeやThe Theなども参加していた。2ndシングル「A Man Can Get Lost/Memorabilia」をMuteのDaniel Millerのプロデュースでクラブヒットを飛ばした後、3rdシングルの「Tainted Love」の大ヒットで彼らは人気を不動のものにする。この曲はGloria Jonesが1964年にリリースしたカヴァーで全英チャート1位、全米チャート8位にまで上昇し、43週もの間チャートインという記録的ヒットとなった。この「Non-Stop Erotic Cabaret」は1981年に発表された1stアルバムでプロデュースはMike Thorneが担当し、レコーディングはニューヨークで行われた。さて、音の方はシンセサイザー担当のDave Ballの作る無機質でエレクトロなバックトラックにMark Armaondの演劇風で癖のあるソウルフルなヴォーカルが絡むという当時には無かったスタイル。このスタイルは後にあのYazooが踏襲することとなる。また、音のポップさとは裏腹に同性愛、ドラッグなどの裏社会の本質を取り入れた退発的な歌詩を用いるなど、同時期に出てきたエレポップ系のアーティストとは一線を画していた。この傑作アルバムは全10曲捨て曲無しだが、個人的にはシングルヒットのA2. Tainted Love、A5.Sex Dwarf、B3.Bedsitter、そして、ラストを飾るバラード曲のB5.Say Hello, Wave Goodbyeがお薦めだ。


《Track List》
A1.Frustration
A2.Tainted Love
A3.Seedy Films
A4.Youth
A5.Sex Dwarf
B1.Entertain Me
B2.Chips On My Shoulder
B3.Bedsitter
B4.Secret Life
B5.Say Hello, Wave Goodbye