29 April 2013

Joy Division ‎– Closer [LP/Factory Fact 25 1980 UK]

Joy Divisionのフロントマン、Ian Curtis自殺後にリリースされた伝説の2ndアルバム。事実上、これがJoy Divisionにとってラスト・スタジオ・アルバムになる。このアルバムは1980年3月ロンドンのBritannia RowスタジオでMartin Hannettのプロデュースで録音された。当初このアルバムの発売に関してはFactoryレコード社長のTony WillsonはIan Curtisの自殺をニューアルバム宣伝材料にしたくないという理由で発売を躊躇っていた。しかし、ファンからの発売を求める声が凄く予定より1ヶ月遅れの7月にリリースされた。1stアルバムから1年後にリリースになるこの2ndアルバムはクラウトロックからの影響を感じさせるハンマー・ビートを基調とする部分は変わらないものの、多彩なパーカッションアレンジ、エレクトロニクスの使用もこなれて来ており、粗削りな面は薄れてよりゴシックタッチなサウンドアプローチがされたダークだが繊細で研ぎすまされた美しい作品になっている。全曲完成度の高い楽曲だが、オープニングを飾るパーカッシヴなリズムにノイジーのSEが絡むAtrocity Exhibition、メタリックなハンマービートに煌びやかなシンセが交錯するA2.Isolationは秀逸。そしてラスト2曲はIan自身が自ら死を予見しているかの様な葬送曲でこのアルバムのエンディングを飾るに相応しいダークで美しいナンバー。バンドの方はこのアルバム録音後、4月には名曲シングル「Love Will Tear Us Apart」をリリースし、米国ワーナーから100万ドルでのオファーやアメリカツアーも決まり、ライブ活動も精力的にこなすなど順風満帆に見えた。しかし、好調な周りの状況とは裏腹にIanの持病であるてんかんの発作はますます酷くなり、自らの持病や女性問題などで極度のストレスに晒された彼はバンド初のアメリカツアー出発前日の1980年5月18日に自宅アパートで首吊り自殺を遂げてしまう。まだ、23歳の若さだった。このアルバム・ジャケットはIanの死をイメージさせる墓の写真を使用しているが、これはIanが自殺したから使用したのではなく、彼が自殺前にデザイナーのPeter Savilleが「Closer」のジャケット・デザイン用に用意してた写真を数枚メンバーに見せ、選んだのが偶然にもこの墓の写真でIan自身も気に入っていたという。偶然とはいえ恐ろしくドラマティックなストーリーだ。Ianを失い、Joy Divisionは消滅するが、悲劇を乗り越え、彼らはNew Oerderとして復活を遂げる。このアルバムには収録されていないが、Ian Cirtis への葬送曲として最も相応しい「Atomosphere」の動画を貼付けて置きます。Ian Cirtis R.I.P

《Track List》
A1.Atrocity Exhibition
A2.Isolation
A3.Passover
A4.Colony
A5.A Means To An End
B1.Heart And Soul
B2.Twenty For Hours
B3.The Eternal
B4.Decades


27 April 2013

Killing Joke- Killing Joke [LP/EG EGMD 5.45 1980 UK]

Killing Joke(キリング・ジョーク)は1978年に英国ロンドンでJeremy "Jaz" Coleman (vocals,key)を中心にPaul Ferguson (drums)、Martin "Youth" Glover (bass)、Kevin "Geordie" Walker (gaiter)ら4人で結成されたPost-Punkバンド。元々P.I.L.のフォロワーだった彼らは翌年の1979年に自主制作でシングル「Turn To Red」をリリース。このシングルではP.I.L.の影響を感じさせるようなレゲエやダブを取り入れたサウンドが聴ける。これが人気DJ、John Peelのラジオ番組"Peel Session"に取り上げられて評判になった。1980年に発表された2ndシングル「War Dance」ではヘヴィーで激しく速いサウンドに変貌を遂げており、アルバムに繋がる原型を聴く事が出来る。さらに、彼らの凄まじいライブも評判となりメジャーレーベルVirginの傘下のE.G Recordsと契約。当時彼らは、P.I.L.、Joy Division、The Pop Groupらと共にPost-Punkの旗手的存在だった。この「Killing Joke」は1980年にE.G Recordsから発表された1stアルバム。このアルバムは全英チャート39位をマークした。さて、音の方は太く、ブンブンと唸るベースに、超重量級なハンマービート、ノコギリの歯の様にギザギザに尖ったメタリックなギターにディストーション掛かりまくりのシンセ、そしてJazの深く唸り上げるように怒りを漂わせたヴォーカルはテンションが高く、スリリングで緊張感を強いられるサウンドで恐ろしくカッコイイ。とにかく、とんでもないエネルギーが放出されていて、今、聴いても決して古く感じない。後続のインダストリアル・メタル系アーティストのMinistryやNine Inch Nailらなどにも多大な影響を与えたハードコア・ミュージックの大傑作。多作な彼らだが、このアルバムは間違いなくベストの部類であろう。このアルバムは全8曲捨て曲なしだが、A1.Requiem、A2.War Dance、A4.Bloodspot、B1.The Waitは超オススメ。


《Track List》
A1.Requiem
A2.War Dance
A3.Tomorrow's World
A4.Bloodspot
B1.The Wait
B2.Compilications
B3.S.O.36
B4.Primitive




25 April 2013

Section 25 - Always Now [LP/Factory Fact 45 1981 UK]

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Section 25は英国北部の都市ランカシャー州のブラックプールで1977年に2人の兄弟、兄のLarry Cassidy(bass,vocals)弟のVincent Cassidy(drums)で結成された。Paul Wiggin(guiter)が翌年11月に加わり3人組として活動を開始する。バンド名は精神健康法の条項が由来。レコードデビューは1980年の6月で7”シングル「Girl Don't Count」をFactory Recordsから発売する。このシングルのプロデューサーはレーベルメイトのJoy DivisionのIan Curtisと同マネージャー、Rob Grettonの二人が担当していて、Joy Divisionを彷彿とさせる暗黒Post-Punkサウンドになっている。このアルバムはFactoryのデザイナーPeter Savilleのデザインが凝っていて後面がカードポシェット型のデザインにイエローのジャケットの表面はワックス加工、ジャケット内側とインナースリーブには特許が掛けられているマーブル模様の特殊な素材を使っており、その為このレコードがプレスされる度にライセンス料が発生していた。採算を度外視して物作りをしていたFactoryらしいエピソードだ。さて、音の方だがプロデューサーMartin Hannettのお得意のエフェクトを掛けたノイジーなドラムサウンドとダークなシンセ、ミドルテンポのリズムに抑揚ない呟くようなボーカルとサイケデリックなギターとアルバム全般に陰鬱さが漂う暗黒サイケサウンド。レーベルメイトのJoy Divisionや後のNew Order、A Certain Ratioらのような華はないが、B級の魅力というか何故か癖になる魅力を持っている。その後、彼らはアメリカツアーを目前にギタリストのPaul Wigginが高所恐怖症を理由に飛行機での出発を拒否。これがきっかけでPaul Wigginは脱退、ギタリストを失ったSection25は新たなメンバーで再スタートを切り、レーベルメイトNew Orderの後を追う様にエレクトロニクスを駆使したダンサブル路線を進むこととなる。


《Track List》
A1.Friendly Fires
A2.Dirty Disco
A3.C.P.
A4.Loose Talk (Costs Lives)
A5.Inside Out
A6.Melt Close
B1.Hit
B2.Babies In The Bardo
B3.Be Brave
B4.New Horizon


24 April 2013

Cabaret Voltaire - The Voice Of America [LP/Rough Trade ROUGH 11 1980 UK]

英国の工業都市シェフィールド出身のCabaret Voltaire(キャバレー・ヴォルテール)の1980年にRough Tradeからリリースされた2ndアルバム。グループ結成の経緯は《→This》このアルバムタイトルの「The Voice Of America」はアメリカの放送局の名称だが、それは彼らがアメリカに訪れた際に、あまりにも多いテレビ局と一晩中放送を垂れ流すという英国とは掛け離れた事実に衝撃を受け命名された。そして、インタビューでRichard.H.Kirkは「僕らはアメリカの自由に魅了されたが、別のダークサイドも意識していた」と語っている。取り分け彼らが興味を持ったのがテレビで観たScott宣教師の安っぽい番組で、後にScott宣教師の声は「Sluggin Fer Jesus」で採用されている。さて、この2ndアルバムは、初期のシングルや1stアルバムよりも所謂ニューウェイブっぽいノリは排除されてエクスペリメンタルに徹している。音のほうはCab'sお得意のディレイの掛かったチープなリズムボックスで反復する催眠的なリズムが軸になり、その反復リズムにエフェクトを極端に掛けたノイジーなギター、そこに呪術的なボーカル、テープによるヴォイスサンプルや金属的パーカッションや具体音がカットアップ、コラージュされ、不気味に絡んでいくインダストリアルサウンド。殺伐としていて荒涼とした風景を想起させられる音楽だが、不況だった当時の工業都市シェフィールドの経済状況を反映している。正直、現在の音の水準で言えばチープな感じは否めないが、当時はサンプラーなどもなく楽器もまともに演奏出来ない彼らがインスパイアされた作家W.S.Burroughsのカットアップ手法をレコード技術上ででさらに発展させた「Mix Up」手法を完成させた一枚。初期Cab'sの傑作である。


《Track List》
A1.The Voice Of America / Damage Is Done
A2.Partially Submerged
A3.Kneel To The Boss
A4.Premonition
B1.This Is Entertainment
B2.If The Shadows Could March? (1974)
B3.Stay Out Of It
B4.Obsession
B5.News From Nowhere
B6.Messages Received


19 April 2013

Esplendor Geométrico - EG 01 [MC/Datenverarbeitung data0011 1982 GER]

Esplendor Geométrico(エスプレンドール・ゲオメトリコ)(以下E.G)は1980年9月スペインのマドリッドで結成された。初期のメンバーはArturo Lanz(アルツロ・ランツ)、Gabriel Riaza(ガブリエル・リアサ)、Juan Calos Sastre(ファン・カルロス・サストレ)の3人。彼らはもともとDEVOに影響を受けたというテクノ・バンドEl Aviador Droのメンバーであったが音楽的見解の違いから分裂してE.Gの結成となった。因みにグループ名Esplendor Geométricoとは(幾何学的なきらめき)はイタリアの未来派詩人F.T.マリネッティのエッセイ「幾何学的および機械的輝きと数的感受性」から取られている。伝説的と言われた彼らだがその所以は当時スペインで最初のインダストリアルバンドであり、インディペンデント・バンドであったからだ。E.Gの最初のレコードリリースは1981年、7''Singleをスペイン国内のみでリリース。そして、このカセット「EG1」は81年9月にスペイン国内で300本限定リリースされた作品の再発で1982年旧西ドイツのDataよりリリースされたが、この作品で一躍、国際的インダストリアルシーンにE.Gの知名度を獲得したエポックメイキング的作品。さて、音の方は腐食したボロボロの金属ビートの反復が延々と続き、そこに様々なノイズが絡みつくぶっ壊れたテクノイズサウンド。まるで古いポンコツの機械が暴れだしている様なノイズだ。ただ、ノイジーではあるがリズミックなサウンドなので聴くには苦にならないし、最後まで聴き通せる。この「EG1」は2000年に彼らのレーベルGeometrikからオリジナルの9曲に加え、ボーナストラックで未発表曲を3曲、デモ曲を3曲追加した「EG-1+」としてCDで再発された。現在も現役の彼らはアルバムリリースもコンスタントにしている。後のAphex TwinやAutechre、Pansonicなどメジャーなテクノアーティストに多大な影響与えた重要なグループだ。


《Track List》
A1.Muerte A Escala Industrial
A2.Neuridina
A3.El Cabecilla Del Vaticano
A4.La Ciudad De Los Heroes Rojos
A5.Amor En Mauthaussen
B1.Paedophile Information Exchange
B2.Destrozaron Sus Ovarios
B3.Quince Años Tiene Mi Amor
B4.Maria Luisa


14 April 2013

Mau Mau - Kraft [LP/Polydor - 2372 107 1982 GER]

Mau Mau (マウ・マウ) はD.A.F.に2ndアルバムまで在籍していたギタリストWolfgung Spelmansと最初期のD.A.F.のメンバーだったベーシストMichael Kemnerが中心になって1981年に結成、その2人の他にFred Heimermann、Lorenz Altendorfが参加している。このバンドの中心人物のWolfgung SpelmansはD.A.F.を脱退した理由を「私は単に曲を作ってギターを弾くだけのギターリストにはなりたくなかった。私には色々アイデアがあったが、それを実現するための自由はD.A.Fではなかった。」とインタビューで答えている。このアルバムはメジャーのPolydorから1982年にリリースされ、Mau Mauにとって唯一のアルバムである。このアルバムにはゲストとしてCANのドラマーJaki LiebezeitがA1,A6で何故かドラムではなくトランペットで参加。またA6,B1,B5で参加しているTabuなる女性ボーカルは非常に透明感のある声の持ち主で、後にMau Mau解散後にWolfgang Spelmansが結成するユニット"Plaza Hotel"にJaki Liebezeitと共に参加している。(これも超おススメ)さて、音の方だが、突んのめる様な性急なビートやファンクっぽいビートに初期D.A.F.風の怪しいシンセ音、そしてSpelmansお得意のシャカシャカギターが絡むジャーマン・ポストパンクというべきサウンドを展開。参加している曲は少ないながらも、Jakiのトランペット、Tabuのボーカルは効果的である。ただ、SpelmansのギターにD.A.F.在籍時代の過激さが後退しているのは少し残念だが、初期のD.A.F.やGerman New Wave好きにはお薦めの一枚。しかし、このアルバムは当時のChrislo Hassが率いた Liaison Dangeruses同様にD.A.F.程の成功は得られず、シングル2枚を残してひっそりとグループは解散してしまう。D.A.F.を脱退した2人の(Chrislo Hass,Wolfgang Spelmans)アルバムを聴くにつけ本当に才能があったと思うし、もしもD.A.F.が分裂せずあの4人のままでバンドとして突き進んで進化していたらと思うと只々残念。


《Track List》
A1.So Weit Die Füße Tragen
A2.Auf Der Jagd
A3.Geradeaus
A4.Alles Lüge
A5.Rhythmus Der Trommel
A6.MM Dub
B1.Mau Mau
B2.Abenteuer Im All
B3.Kampfjacken
B4.Wie Ein Mann (Benimm Dich)
B5.Dondola

11 April 2013

Liaisons Dangereuses ‎– Liaisons Dangereuses [LP/TIS 66.22 433-01 1981 GER ⇒ Reissue CD/Hit Thing CD005 2002 GER]

Liaisons Dangereruses(リエゾン・ダンジェルーズ)は1981年、元D.A.F.のElectronics担当だったChrislo Hassと元ManiaD、Mararia!のBeate Bartel、後にボーカルとしてKrishna Goineauが加わり結成されたハードエレクトロニクスユニット。ユニット名はフランスの小説「Liaisons Dangereruses=危険な関係」から取られた。このアルバムはConny plankスタジオで録音され1981年に発表された唯一のアルバム。このアルバムが発表された当時、分裂したD.A.F.がVirginから発表されたボディ・ミュージックの3部作が好調だった為か、余りに先鋭的過ぎたのかアルバムの評価はいまひとつでD.A.Fのようにブレイクせず、まもなく活動停止。アルバムも廃盤となっていた。そして長らく廃盤だったがデトロイトテクノ勢などの再評価を受け2002年にCDが再発された。さて、音の方だが、さすが元D.A.F.でElectronicsを担当していただけに、D.A.F.の2ndアルバムで展開された異様で変態的なシンセベースに、生ドラムを使わずすべて打ち込みによる無機的で硬質なビート、SEの入れ方もヒネクレていて面白いし、またボーカルやコーラスもクセのある音に負けず変態っぽくてかなりヤバイ。曲調はEBM風あり、Industrial風あり、縦ノリD.A.F.風とバラエティに富んでおり飽きさせない構成になっていて、シングルになった名盤「Los Niños Del Parque 」も収録されている。1981年発表とはにわかに信じ難い驚異の作品。ただ残念ながら、中心人物だったChris Hassは2004年にベルリンで肺癌にて他界されている。


《Track List》
1.Mystère Dans Le Brouillard
2.Los Niños Del Parque
3.Etre Assis Ou Danser
4.Apéritif De La Mort
5.Kess Kill Fê Show
6.Peut Etre...Pas
7.Avant Après Mars
8.I Macho Y La Nena
9.Dupont
10.Liaisons Dangereuses


9 April 2013

Deutsch Amerikanische Freundschaft - Alles Ist Gut [LP/Virgin V-2022 1981 UK]

D.A.F.は前作のMuteからの2nd アルバム「Die Kleinen Und Die Bösen 」で早くも英国での成功を収めたが、今後の方針をめぐって意見が対立してしまい、その結果としてChrislo Hass (electronics,tapes)、Wolfgang Spelmans(guiter)の2人が脱退。Gabi Delgado (vocal)、Robert Görl (drums)だけになったD.A.F.はMuteからVirginへ移籍、この3rdアルバム「Alles Ist Gut」は新生D.A.F.の81年にリリースされた移籍第一弾。プロデュースは2ndから引き続きConny Plankが担当している。音の方は2人が抜けた事もあり、シーケンサーによる反復シンセベースにドラムとボーカルといった贅肉を極限まで削ぎ落とした、非常にシンプルな人力テクノ的なサウンド。但し、シンプルと言ってもただのシンプルでは無く重ねられた異様に野太い音色のシーケンス、跳ねる様な生ドラムによるGörlの筋肉ハンマービート、そしてGabiの煽るように激しく、時にエロティックなボーカルと独創的スタイルを天才プロデューサーのConny Plankと共に創りあげた。 このアルバムからは、シングルとなった名曲「Der Mussolini」も収録されており、この曲のタイトルや男臭いジャケットデザイン、刈り込まれて短髪、レザースーツ、骨太のハードビートといった印象から(ファシズム、ホモセクシャル、筋肉、律動)といった彼らのイメージを定着させる作品となった。このスタイルは後に盛り上がりを見せるElectric Body Musicシーンに多大な影響を与え、数々のフォロワーを生み出した。


《Track List》
A1. Sato-Sato
A2. Der Mussolini
A3. Rote Lippen
A4. Mein Herz Mach Bum
A5. Der Räuber Und Der Prinz
B1. Ich Und Die Wirklichkeit
B2. Als Wär's Das Letzte Mal
B3. Verlier Nacht Den Kopf
B4. Alle Gegen Alle
B5. Alle Ist Gut


6 April 2013

Surgical Penis Klinik - Meat Processing Section [7''EP/Industrial IR0011 1980 UK]

1980年にSurgical Penis Klinik名義でペニスの串刺し写真というショッキングなジャケットで発表されたS.P.K.の7''シングル、「Meat Processing Section」は英国のThrobbing Gristle主宰のIndustrial Recordsから2000枚限定でリリースされた。リリースのきっかけはThrobbing GristleとIndustrial レーベルを気に入っていたオーストラリアのJJJというFM局のDJからの紹介でS.P.K.の存在を知ったIndustrial Recordsは彼らのシングル2枚を聴いて、パワフルな音と独特な視点とアイデアをかなり気に入り、Industrial レーベル側から英国での再リリースを持ち掛けたことで実現した。そして同年12月にはロンドンのクラブHeavenで行われたLiveでThrobbing Gristleと共演している。このシングルの1st エディションの1000枚はジャケット写真がステッカー仕様でのリリースだったが、2ndエディションの1000枚のジャケット写真はプリント仕様に変更になってリリースされている。また、ラベルにミスプリントがありA.sideでは"Factory"と曲名違い、B.sideは"Slogan"とスペルが間違って表記されてしまっている。曲自体は新作ではなくオーストラリア時代の3rdシングル(Mekano-Kontakt-Slogun)から1曲カットしたのもの。さて、曲の方だが基本的にはかなりノイジーで歪曲したエレクトロパンクだがA.sideの「Mekano」は意外な程キャッチーなメロディが印象的。だがB sideに収録された「Slogun」は初期衝動に駆られたクレイジーかつ凶暴なものでS.P.K.の真骨頂。特にボーカルのNe/H/ilの突き抜け方は尋常じゃない。この曲の「kill kill kill for inner peace,bomb bomb bomb for mental health=内なる平和の為に殺せ!殺せ!殺せ!、精神の健全の為に爆弾を!爆弾を!爆弾を!」という歌詞は、まさにこのバンドが借名した旧西ドイツのテロ組織S.P.K.(Sozialistisches Patienten Kollektive=社会主義患者集団)の"Slogun"だ。


《Parsonnel》
EMS AKS: voice, tape, syntheseizer
Ne/H/il: voice, tape, electronic rhythm
Danny Rumour: guitar
David Virgin: bass 


《Track List》
A.Mekano
B.Slogun

Deutsch Amerikanische Freundschaft - Live in Bonn 1980 [AudioFile/Unofficial GER]

1980年の4人編成時代(Chrislo HassとWolfgang Spelmans在籍)旧西ドイツはボンで行われたD.A.F.のLive。D.A.F.が一番過激な頃だ。Boodlegだが音質はなかなか良好で、このLiveでは2ndアルバムからの曲に加え、後にVirgin Recordsからリリースされる後期D.A.F.の楽曲のオリジナルVersionも聴く事が出来る。全編にすごく良いが特に1.Co co pino、2.Verschwende deine jugend、10.Kebabträume、11.Tanz mit mirはSpelmansのノイジーなGuiterとGörlの筋肉ハンマービート、変態っぽい音を発するHassのElectronics、そしてGabiのキレまくりのVoacalと相まって発狂のエレクトリックハードコアサウンドでメチャクチャカッコよい。やはり、この頃のD.A.F.はいいなあと思う。



《Parsonnel》
Robert Görl:drums
  • Chrislo Hass:Electronics:
Wolfgang Spelmans:guitar
Gabi Delgado Lopez:vocals

《Track List》
1. Co co pino
2. Verschwende deine jugend
3. Der räuber und der prinz
4. Volkstanz
5. Ich bin die fesche lola
6. Nacht arbeit
7. Essen dann Schlafen
8. Osten währt am längst
9. El basilon
10. Kebabträume
11. Tanz mit mir
12. Ich und die wirklichkeit
13. Co co pino
14. Die lustigen stiefel
15. Nachtarbeit ist arbeit in der nacht
16. Untitled
17. Kebabträume
18. Kebabträume