13 December 2013

New Order ‎– Movement [LP/Factory ‎FACT 50 1981 UK]

1980年5月18日にJoy DivisionのボーカルだったIan Curtisの自殺で、Joy Divisionは解散を余儀なくされ、残ったメンバーはバンド名をNew Order (ニュー・オーダー)と改名し、Bernard Sumner (vo,g,key)、Perter Hook (b,per)、Steven Morris (ds,key)のオリジナル・メンバーにSteven MorrisのガールフレンドのGillian Gilbert (g,key)を加えた4人で再スタートを 切る。1980年10月25日には英国マンチェスターで4人編成となったNew Orderの初ギグが行われ、1981年1月26日にはBBCの番組「John Peel’s BBC Radio 1」のスタジオライブに出演。「Truth」、「Senses」、「I.C.B.」、「Dreams Never End」の4曲を披露した。その後、1981年1月に1stシングル「Ceremony」(全英チャート34位)、1981年9月に2ndシングル「Procession」(全英チャート38位)の2枚のシングルをリリース。そして、1981年11月に発表されたのが、この1stアルバム「Movement」(全英チャート30位)である。プロデューサーはJoy Divisionの時と同じくMartin Hannettが担当し、アルバム・ジャケットのデザインも同じくPeter Savilleが担当した。アートワークはイタリアの未来派のアーティストFortunato Deperoによる1932年の博覧会「Futurismo Trentino」向けに作ったポスター作品がモチーフとなっている。さて、音の方はボーカルをPeter Hookが担当したA1. の「Dreams Never End」でJoy Divisionの影を振り払うような軽快なギター・ポップ・サウンド(この曲はNew Orderの中でも上位を争う名曲)を展開してスタートするが、A2.以降はまだIan Curtisの幻影に支配された陰鬱な曲が並び、ボーカルを担当したBarnerd Sumnerもこの時点ではIan Curtisをかなり意識していて、Ian Curtisの自殺からわずか1年足らずとういう事もあり、呪縛から逃れられない彼らの苦悩が伺える内容になっている。彼らの後に核となるエレクトロ・サウンドも、このアルバムの時点では、まだ限定的かつ実験的であり、試行錯誤の段階であったのだろう。それでも、独特な高音域のベースを主体に、リズムボックスやエレクトロ二クスを使用した曲などは、粗削りだが所々に今後の彼らの方向性がわずかながらも伺える。もがきつつも、とにかく前に進もうとする彼らの意思を強く感じさせる作品。後年、Peter Hookもインタビューで「あの時は、とにかく早く作品を出すことが重要だった。」と語っている。まだ、Joy Divisionの影を引き摺ってるサウンドという事もあり、New Orderファンにはあまり評価が高くないアルバムだが、Joy DivisonとNew Orderを繋ぐミッシングリング的役割を果たした重要なアルバム。特に、A1.「Dreams Never End」はNew Orderの中でも上位を争う名曲である。


《Track List》
A1.Dreams Never End
A2.Truth
A3.Senses
A4.Chosen Time
B1.ICB
B2.The Him
B3.Doubts Even Here
B4.Denial



 


29 November 2013

Glaxo Babies ‎– Nine Months To The Disco [LP/Heartbeat Records HB2 1980 UK]

Glaxo Babies (グラクソ・ベイビーズ)は1977年に英国ブリストルで結成されたPost-Punkバンド。地元のアート・スクールに通うDan Catsis (guitar)と地元でジャズ・ミュージシャンをしている父を持つTom Nichols (bass)が中心となり、Rob Chapman (vocal)、Geoff Alsopp  (drums)を誘い入れて結成された。グループ名は世界的な製薬会社のグラクソ製薬から取って付けられた。それは、彼らの歪んだ広告戦略への抗議の意味を含めての事らしい。結成のわずか3週間後には地元ブリストルので最初のライブが行われた。その後も地元でのライブを続ける中で地元のインディペンデント・レーベルHeartbeat Recordsと契約し、1979年1月に4曲入りEP「This Is Your Life」をリリース。このシングルはBBCの人気DJ、John Peelに絶賛されて、グループの名前はインディペンデント・シーン以外でも、広く知れ渡るようになる。 次のシングルの「Christine Keeler」ではファンクやダヴを取り入れたサウンドに傾倒し、その流れでアバンギャルドな要素を深め、同郷のThe Pop Groupとも交流を深めていく。しかし、この流れに違和感を持ったボーカルのRob Chapmanが脱退。入れ替わりにボーカルではなくインストゥルメンタリストのTim Aylettが加入、さらにサックス奏者のTony Wrafterも加えて、ドラムもGeoff AlsoppからCharles Llewelyにメンバー・チェンジした。そして新らたの編成で1980年に発表されたのがこのファースト・アルバム「Nine Months To The Disco」である。メンバーチェンジを経て、ボーカルが居なくなった事もあり、サウンドはさらに、フリージャズ、ファンクをベースにやダヴ、インダストリアル、現代音楽的な要素を取り入れた実験色の強い混沌としたサウンドに変貌しており、The Pop Groupの影響を色濃く伺わせる。A1.「Maximum Sexual Joy」のようなファンク・ナンバーからA2.以降のThe Pop Group風あり、インダストリアルあり、フリー・ジャズ風ありと一言では到底言い表せないサウンドが詰まった大傑作。このアルバムが彼らのオリジナルとしては結局ラスト・アルバムになってしまうがThe Pop Groupよりボーカルが入っていない分、こちらの方がよりその攻撃的サウンドが楽しめるし、個人的にはこちらの方が好みである。


《Track List》
A1.Maximal Sexual Joy
A2.This Is Your Vendetta
A3.Seven Days
A4.Electric Church
A5.Nine Months To The Disco
B1.Promised Land
B2.The Tea Master And The Assassin
B3.Free Dem Cells
B4.Dinosaur Disco Meets The Swampsstomp
B5.Conscience
B6.Slim
B7.Shake (The Foundations)


13 November 2013

The Pop Group ‎– For How Much Longer Do We Tolerate Mass Murder? [LP/Rough Trade ‎ROUGH 9 1980 UK]

1stアルバム「Y」でセンセーショナルなデビューを飾った、英国ブリストル出身のPost-Punkグループ、The Pop Groupの1980年にRough Tradeからリリースされた2ndアルバム。これが彼らのオリジナル・アルバムとしてはラスト・アルバムになる。このアルバムの録音前にベーシストのSimon Underwoodは脱退。入れ替わりにGlaxo Babies(グラクソ・ベイビーズ)のメンバーだったDan Katsisが加入する。ジプシーの子供が口づけをしているという衝撃的なレコード・ジャケットはAndre Kertesz が1917年に撮影した物。このアルバムにはアメリカのラップ・グループThe Last Poets(ラスト・ポエッツ)とのコラボレーション曲「One Out Of Many」も含まれている。「For How Much Longer Do We Tolerate Mass Murder?= 我々はこの先どれほど大量殺戮を見逃し続けるのか?」と題されたアルバムはそのタイトルが象徴するように、楽曲だけではなく、初回プレスのジャケットには世界各地の大量虐殺の事例やIRAの少年兵士、さらに軍隊の侵している犯罪行為の写真がコラージュされたパンフレットが挿入されるなど、彼らは過激な政治的メッセージを表明していた。さて、音の方は1stアルバムで見られたような、ファンク、ジャズ、レゲエ、ダブ、パンクなどが渾然一体としたサウンドが怒濤のように繰り広げられるが、この2ndアルバムではよりリズム隊が強化され、よりファンキーで明快なサウンドが提示されている。一方、Mark Stewartのボーカルはほとんどアジテーションと呼べるもので、抑えきれない衝動を叩きつけている感じだ。歌詞には国名などの固有名詞が次々と出てきて、政治的で強烈な告発がなされている。だが、この過激な政治的姿勢を取り続けるリーダーのMark Stewartに対して、他のメンバーは嫌気がさし始め、次第にグループ間に軋轢が生じるようになる。それでも、そういう状況下で収録されたこのアルバムは、楽器がぶつかり合う様な異常なテンションの高さで演奏されており、バンド間の緊張関係がそのままサウンドになって表れた、爆発度においては1stを凌駕した傑作。結局、このアルバムがリリースされる頃にはバンドは崩壊しており、解散状態の中でデモやライブを収録した編集盤の「We Are Time」をリリースを最後にバンドは正式に解散する。このテンションの高さ故にバンドは長く続かなかったが、彼らが残した攻撃的で混沌としたサウンドは、現在においても古さを感じないし、彼らが後生のバンドへ与えた影響は決して小さくない。


 《Track List》
A1.Forces Of Oppression
A2.Feed The Hungry
A3.One Out Of Many
A4.Blind Faith
A5.How Much Longer
B1.Justice
B2.There Are No Spectators
B3.Communicate
B4.Rob A Bank


18 October 2013

SepPuKu ‎– Dekompositiones [12"EP/Side Effects ‎SER 03 1983 UK]

S.P.K.の1983年に自身のレーベルSide Effektsからリリースされた3曲入り12インチシングル。プロジェクト名をその作品の都度にS.P.K.の頭文字をから取った名称に変えてきたが、このシングルでもS.P.K.の頭文字をから取った"SepPuKu"(切腹)名義になっている。レコード・ジャケットもプロジェクト名に合わせて、日本の切腹の儀式の画像が使用されている。このシングルは、2ndアルバム「Leichenschrei」をリリース後に、S.P.Kの中心人物のGreame Revellが方針の違いから、もう一人のオリジナルメンバーのNe/H/iLことNeil Hillと袂を分かった後にリリースされた作品で、メンバーも基本的にはGreame Revellと女性ボーカルのSinanの2人のみに変わり、このシングルでは、第3のメンバーとしてLust Mordが参加している。さて、音の方は前作のアルバムでも聴かれたメタル・パーカッションに加え、うねる様なダークなシンセ・ベースに、よりリズムも強化がされ、全編にエスニックでリチュアルなムードを加えた暗黒ダンス・ミュージック・サウンドに変貌している。A.sideの「Another Dark Age」、B1の「Twilight Of The Idols」ではGreame Revellが、B2の「Culturcide」ではSinanがリード・ボーカルを担当している。3曲とも世界の文明崩壊を圧倒的エネルギーで表現した構成力のあるサウンドで同時期のポスト・インダストリアルのアーティストに較べても完成度の高い作品だったが、Greame Revellが期待した程にはセールスには繋がらず、金銭的にかなり痛手を負ったようだ。(当時、日本では「Fool's Mate」誌のインディー・チャート1位になったが・・・。)この事が、次回のシングル「Metal Dance」によるコマーシャル戦略に走らせる要因となる。因にこのシングルは後にCDリリースされたアルバム「Auto-Da-Fé」にボーナストラックとして収録されている。Neil Hillと共に作り上げたノイズ期から袂を分かった後の、過渡的作品で地味な存在だが、その後のディスコ・サウンドへ発展した「Metal Dance」へのミッシング・リンク的作品。個人的には、このGreame Revell主導のS.P.K.のサウンドも非常に好みで、出来ればこの「Dekompositiones」のテイストのアルバムを制作してもらいたかった。


《Track List》
A1.Another Dark Age
B1.Twilight Of The Idols
B2.Culturcide

SPK - Auto-Da-Fé [LP/Walter Ulbricht Schallfolien ‎WULP 002 1983 GER]

SPKの「Auto-Da-Fé 」は1983年に西ドイツのインディー・レーベルWalter Ulbricht Schallfolien からリリースされたコンピレーション・アルバム。A.sideは1979年のバンド初期のオーストラリア活動時代のシングル集で、一方のB.sideは1981年録音のスタジオ未発表曲集である。SPKは度重なるメンバーチェンジ、分裂を繰り返し、また、メンバー名、プロジェクト名の変名など色々と謎が多いバンドだが、このアルバムは結成初期の音源を網羅した貴重な作品である。まず、A.sideの方だが、1979年当時のオリジナル・メンバーNeil Hill (Ni/H/iL)、Greame Revell (EMS AKS)を中心にDanny Rumour、David Virgin、Carmel.E.Klasticの5人で録音された初期のシングルはインダストリアル・ノイズにパンクのアプローチを加えた非常にアグレッシブなサウンドで1st、2ndアルバムで聴けるノイズとは全く作風が違っている。特にA5.SlogunはSPK!!,SPK!!,SPK!!のシュプレヒコールが印象的なアグレッシブでパンキッシュな初期の傑作である。B.sideの3曲は1981年録音という以外は詳しいクレジットが無く、時期的には1stアルバムの頃のはずだが、Greame Revellが作ったと思しきサウンドはノイズとは打って変わって後のディスコ・サウンドを予見させるダークながらもリズミックなシンセ・ポップ・サウンド。それでもポップといってもそこはSPKの事、Greame Revellの押し殺すようなダークで強迫的なボーカル、お得意のメタリック・ビートにヒトラーの演説をコラージュしたり、さらに奇怪なノイズSEも挿入されるなど独自の毒はきっちり盛り込まれている。また、B3.A Heart That Breaksでは、後に正式メンバーとなるSinanと思しきボーカルを聴く事が出来る。このアルバムがリリースされるまでは、初期のシングルなどは当時入手困難(現在もほぼ入手不可)で聴く機会に恵まれていなかっただけに、非常にありがたいアルバムだった。また、このアルバムはパンキッシュでラジカルなサウンドを指向するNeil Hillとノイジーながらも商業的な要素も取り入れたポップ・サウンドを指向する Greame Revellの2人のパーソナリティの対称性が鮮明になった一枚。


《Track List》
A1.Kontakt
A2.Germanik
A3.Mekano
A4.Retard
A5.Slogun
B1.Metall Field
B2.Walking On Dead Steps
B3.A Heart That Breaks In No Time Or Place

9 October 2013

Sprung Aus Den Wolken ‎– Untitled [LP/Faux Pas ‎– Faux Pas 01 1982 GER]

Sprung Aus Den Wolken (スプラング・アウス・デン・ヴォルケン=雲からの跳躍)は画家のKiddy Citnyを中心に、Peter Prima、Fred Alpiが加わり、この3人を主要メンバーとして1980年に旧西ドイツのベルリンで結成され、同じくベルリンを拠点に活動したEinstürzende Neubauten、Die Tödliche Dorisらと共にベルリン・アンダーグラウンド・シーンを代表するグループである。当時、彼らはEinstürzende Neubautenらとは交流が深く、NeubautenのメンバーのAlexander Von Borsigも参加しているし、彼がNeubautenのメンバーになる前にChristiana F.と組んでいた別グループSentimentale Jugendの作品をKiddy Citnyが設立したカセット・レーベルDas Cassetten Combinatからリリースしている。Sprung Aus Den Wolkenがドイツ国内で注目を浴びたのは1981年9月4日にベルリンのテンポドロームで開催されたベルリン・アンダーグラウンド・アーティストの伝説のイベント「Die Grosse Untergangsshow - Festival Genialer Dilletanten」でのパフォーマンスで、このイベントには彼らの他に主催者であるWolfgang Müller が率いたDie Tödliche Dorisはもちろんのこと、Einstürzende Neubauten、Frieder Butzmann、Sentimentale Jugendなど凄いメンツが出演していた。因にこのライブの模様は2005年にドイツの再発レーベルVinyl on demandからCD+DVDでリリースされている。彼らはグループ結成後、1981年に自身のレーベルから2つのカセット・アルバム、Zick Zackから12インチの8曲入りミニ・アルバムを、1982年には彼らが設立したレコード・レーベルFaux Pasからオランダでのライブを収録したアルバム「Walte - Ketzer」をリリース。同じく1982年に自身のレーベルFaux Pasからリリースしたスタジオ録音盤の「Untitled」が実質的1stフル・アルバムである。このアルバムはCassetten Combinats Studioでレコーディングされ、音の方はと言うと意外にファンキーなベースに単調なリズム、時折絡むエレクトロニクス・ノイズ、テープによる異様なSEのコラージュや軟弱なメタル・パーカッション、ダブ的音響処理が聴く事が出来、そして、Kiddy Citnyのアジテーションの様なボーカルやナレーションなどがフューチャーされている。ノイジーで奇天烈なサウンドと写真で見る彼らの異様な風態などは、当時の東西冷戦時代のベルリンの社会情勢や不穏な雰囲気を反映している。尚、このアルバムは長らく廃盤で入手困難であったが、2008年オーストリアのレーベルKlanggalerieより「Faux Pas 1」としてCDで300枚限定で再発されている。


《Track List》
A1.Noch Lange Nicht
A2.Freue Mich Auf Dich
A3.Warte
A4.Sei Still
A5.Ai Akcam La
A6.Que Pa
B1.Als Wäre Nichts Gewesen
B2.Begehre Dich
B3.Nur Noch Beben
B4.Mach Mit Mir Was Du Willst
B5.Urlaub Für Ganz Berlin
B6.Längst Fällig
B7.Gong A Minute


23 September 2013

Tommi Stumpff ‎– Zu Spät Ihr Scheißer. Hier Ist: Tommi Stumpff [LP/Schallmauer ‎ SCHALL 023 1982 GER ]

1978年から1982年に掛けてドイツのデュッセルドルフで活動していたパンク・バンドDer KFCのボーカルで、フロントマンだったTommi Stumpff (トミー・シュタンプ)はバンド解散後に、ソロに転向。1982年にドイツのインディペンデント・レーベルSchallmauer からリリースされたアルバム「Zu Spät Ihr Scheißer. Hier Ist: Tommi Stumpff」はTommi Stumpffのソロ転向第1弾で3000枚限定での発売。このアルバムはデュッセルドルフのStudio Klangwerkstattで録音され、ボーカルは勿論のこと、演奏もプロデュースもすべてTommi Stumpff自身が行い、アルバム・ジャケットはThe Crashの「London Calling」をパロディっぽくしたものになっている。音の方は、ソロになったという事もあり、バンド時代と違って、シンセサイザーを駆使した全編打ち込みによるエレクトロニクス・サウンドに変貌している。そこにパンク・バンド出身者らしいワイルドなボーカルにメタリックなパーカッションやピストルの発砲音の様なサンプリング音が炸裂するミニマム・シンセ・パンクサウンド。もちろん、テクノロジーが発達した現在の基準で聴けばチープな事は否めないが、1980年代中盤頃から後半に盛り上がったエレクトリック・ボディ・ミュージックのプロトタイプとも言える重要な作品。彼はその後もソロ活動を続け、1983年にGiftplattenレーベルから12インチ・シングル「Contergan Punk」、1985年にWhat So Funny About..レーベルから12インチ・シングル「Seltsames Glück」の2枚をConny Plankプロデュースでリリース。この2枚のシングルでファースト・アルバムを凌駕する破壊力満点のエレクトロニクス・ジャンク・サウンドを披露している。しかし、残念ながら現在も尚、このアルバムは未だにCD化されておらず、オリジナルのヴィニール盤も入手困難の状況だが、ファースト・アルバムから3曲を抜粋、上記のシングル2枚と未発表曲を収録した編集盤「Mich Kriegt Ihr Nicht (Back Up 1982–1985)」は比較的入手しやすいのでD.A.F.やDie Kruppsなどが好きな方には是非聴いてもらいたい。彼の風貌といい、凶暴なボーカルといい、ジャンクなサウンドといい、ドイツのFoetusだ。


《Track List》
A1.Crêve Petit Con
A2.Helden Sterben Nie Allein
A3.Zu Spät
A4.Cours Dani
A5.Die Stimme Des Herrn
B1.Alarm
B2.Ich Will Gewinnen
B3.Echoes In Der Nacht
B4.Pour Rien


20 September 2013

Die Krupps ‎– Volle Kraft Voraus! [LP/WEA ‎– WEA 58 463 1982 GER ]

Die Krupps (ディー・クルップス)は1976年に旧西ドイツの工業都市デュッセルドルフで結成されたパンク・バンドMaleのメンバーだった、Jürgen Engler、Bernward Malakaを中心にMania DのEva Gößling、S.Y.P.H.のRalf Dörperらが加わって1980年に結成されたバンド。バンド名のKruppsはナチス政権下で「鉄鋼王」として、また「死の兵器商人」として世界史にその悪名を轟かせたAlfred Kruppの姓から取られている。バンドは明らかに反ナチスであり、この名称にしたのは第二次世界大戦においてナチスが軍拡を進めるのにKrupp家の役割を強調する為であろう。バンド結成後、同じくデュッセルドルフのバンドD.A.F.の前座を務め、早くも評判になった彼らは、1981年にハンブルグのインディペンデント・レーベルZick ZackからミニLP「Stahlwerksymphonie = 製鉄所交響曲」でデビュー。このアルバムでは片面1曲ずつの14分に渡るメタル・パーカッションを駆使した実験的なインストゥルメンタル・サウンドを展開している。しかし、次のシングル「Wahre Arbeit - Wahrer Lohn」では、作風が一転、D.A.F.を彷彿させるシーケンサーとハンマー・ビート、Jürgen Englerがデビューから使用しているStahlofon(シュターロフォン=鋼鉄製の打楽器)によるメタル・パーカッションを絡めたエレクトロ・パンク・サウンドに変貌していた。そして、1982年にWEAからリリースされた「Volle Kraft Voraus!」は彼らの1stフル・アルバム。このアルバムも基本的にはシングルの延長線上にあるが、同時期のD.A.F.と比べるとややチープというか、音に重量感が不足している感は否めない。メタル・パーカッションにしても同じドイツのEinstürzende Neubauten程の爆発力は無く、アイデアは悪くないだけにプロデューサーがD.A.F.と同じConny Plankが担当してたらもっと良くなったのでは?と思うとすこし残念だ。それでも、当時の機材的に制約があるなかでD.A.F.らと共にエレクトロ・パンク〜エレクトロ・ボディ・ミュージックの原型になった重要な作品だ。尚、Ralf Dörperはこのアルバムを録音後にバンドを脱退して、新グループPropagandaを結成し、成功を収めている。(1989年にDie Krupps復帰)また、この作品は永らく廃盤になってCDでの入手が困難な状況だったが、2008年にデラックス・エディションでオリジナルに加え、シングルをボーナス・トラックとして追加し、さらにオリジナル・アルバムをまるごと最新のリミックスを施した豪華2枚組で再発されている。


《Track List》
A1.Volle Kraft Voraus
A2.Goldfinger
A3.Für Einen Augenblick
A4.Tod Und Teufel
A5.Das Ende Der Träume
B1.Neue Helden
B2.Wahre Arbeit, Wahrer Lohn
B3....Denn Du Lebst Nur Einmal
B4.Zwei Herzen, Ein Rhythmus
B5.Lärm Macht Spass

30 August 2013

Deutsch Amerikanische Freundschaft ‎– Der Räuber Und Der Prinz / Tanz Mit Mir [7"EP/Mute ‎MUTE 011 1981 UK]

D.A.F.の「Der Räuber Und Der Prinz / Tanz Mit Mir」は 1981年英国Muteからリリースされた両サイドA面扱いの2ndシングル。D.A.Fにとっては、Muteからリリースする最後の作品であり、このシングルをレコーディングする段階では、バンド自体は方向性の違いから分裂状態で、サウンドも4人編成のバンドから2人組のデュオになっていく変遷過程を見る事が出来る興味深い作品。この2曲は、実際には新作ではなく4人編成の頃からライブで演奏されていた曲である。レコーディング段階では、エレクトロニクスを担当していたChrislo Hassは既に脱退しており、クレジットから名前を外されている。ただ、この2曲は聴く限りは新たなバージョンを作ってレコーディングした訳ではなく、その音からして、おそらくシンセ・ベースのバックトラックはChrislo Hassの作ったものをそのまま使用していると見られる。さて、AA面の「Tanz Mit Mir」だが、この曲はライブでは"Verschwende deine jugend"とクレジットされている曲で、4thアルバム「Gold Und Liebe」に収録されている"Verschwende deine jugend"とは完全に別物である。この曲のレコーディング段階では、Chrislo Hassは脱退していたが、ギターのWolfgang Spelmansは、まだ脱退前でレコーディングには参加しており、彼の名前は正式にクレジットされている。この曲はD.A.F.のベストからも外されて、地味な扱いだが、Chrislo Hassの反復するアシッドなシンセをベースに、Robert Görlのハンマー・ビート、そして、不協和音を醸し出すWolfgang Spelmansのノイジーなギターが今までのどの曲よりも搔き鳴らされ、Gabi Delcadoのボーカルスタイルも後期DAFのボディ・ミュージック3部作のような強迫的なボーカルになっており、前期DAFと後期DAFを足したような様なディスコ・パンク・サウンドで破壊力のある強力なトラックである。しかし、残念ながらWolfgang Spelmansは、このレコーディングを最後に脱退してしまう。一方、A面の「Der Räuber Und Der Prinz」も上記で紹介した通り、初期のライブでも演奏されていた楽曲で、このシングルは、Gabi DelcadoとRobert Görlの2人組バージョンで新たにレコーディングされた物である。因にこの楽曲は、Virgin移籍後の3rdアルバム「Alles Ist Gut」にも収録されている。このシングルは、やはりAA面の「Tanz Mit Mir」が聴き所であろう。この曲なら、前期DAFの好きな方も、後期DAFの好きな方でもどちらの方にも大推薦の曲である。尚、この曲は2007年に発売されたMuteのコンピレーション・アルバム10枚組CDMute Audio Documents «1978 - 1984»」で聴くことが出来る。


《Track List》
A.Der Räuber Und Der Prinz
AA.Tanz Mit Mir


22 August 2013

You've Got Foetus On Your Breath ‎– Ache [LP/Self Immolation ‎– WOMB OYBL 2 1982 UK]

本名J.G. Thirlwellことオーストラリア・メルボルン出身のJim Foetusの1982年に自身のレーベルSelf Immolationからリリースした"You've Got Foetus On Your Breath"名義の2ndアルバム。アルバム・ジャケットは1stアルバムに続いて、彼のお得意のロシア構成主義的なアートワークを用いて、わずか1500枚限定で発売された。その為、当時は、1stアルバム同様に入手困難で、稀に見かけてもとんでもない高値で売られていた。1997年に米国のレーベルThirst Earから限定4000枚でCDが再発され、一般的に出回る様になった。さて、音の方は、基本的にはジャズ、ファンク、ラウンジ、フリー・ミュージックをミックスし、ジャンク・ノイズなどのインダストリアルなフレーバーを加味した1stアルバム「Deaf」の延長線上で、雑多なジャンルを手当たり次第に放り込むのがFoetusの持ち味だが、アイデアに関して彼は、インタビューで「いかにもショービズ風のビッグ・バンド的なものは、60年代の安っぽいバラエティ番組がヒントになっている。」と語っている。また、前作同様、綿密に練ったアレンジに加え、曲調もポップ度が上がって聴きやすくなっているし、前作に較べレコーディング技術が熟れてきたのか、チープではあるが1stよりは音に力強さが感じられる。前作は実験色が強く、The Pop Groupのインダストリアル版的サウンドであったが、この2ndはよりキッチュでコミカルな部分が強調され、さながらMadnessのインダストリアル版の様で、さらに独特のダミ声で唄うFoetus節も健在である。また、西ドイツのベルリンでのライブを観て、衝撃を受けたというEinstürzende Neubautenの影響か、メタル・ジャンクなパーカッションの使用頻度も増え、次作の傑作アルバム「Hole」に繋がるサウンドも垣間見せている。この時点では、まだ「Hole」で見せた爆発力はには到底及ばないが、この頃すでに彼の独自のサウンドの確立を再確認させられるルーツ的な作品。このアルバムも1stの「Deaf」同様に秀逸なアートワークでコレクターに人気があり、アナログ盤LPは未だに高値安定で入手困難である。


《Track List》
A1.Dying With My Boots On
A2.J. Q. Murder
A3.Gums Bleed
A4.Mark Of The Ostracizor
A5.Exit The Man With 9 Lives
B1.Get Out Of My House
B2.Wholesome Town
B3.Whole Wheat Rolls
B4.Kid Hate Kid
B5.Instead...I Became Anenome


20 July 2013

SoliPsiK ‎– See-Saw / Chambermusik [7"EP/M Squared ‎M-2009 1981 AUS]

SPKの「See-Saw / Chambermusik」は1981年にオーストラリアのインディペンデント・レーベルM Squaredから"Solipsik"名義でリリースされた7インチ・シングル。このシングルはシドニーでオリジナル・メンバーNeil Hillを中心にレコーディングされ、もう一人のオリジナル・メンバーであるGreame Revellは当時、Neil Hillと仲違いして渡英しており、参加していない。それはオーストラリアのFM局JJJのDJを介して、SPKの存在を知り、彼らのシングルを聴いて気に入った英国のIndustrial Records主宰でThrobbing GristreのリーダーであるGenesis P.Orridgeから英国での活動のオファーを受け、Greame Revellは渡英を快諾したが、一方のNeil Hillはオーストラリアに残る事を選択し、英国行きを拒否して2人が対立したからだ。結果、Greame Revellは別のメンバーと"SPK"を結成して渡英し、Neil Hillはオーストラリアに残って"SPK"を続けていた為、一時期はオーストラリアと英国に2つの"SPK"が存在した。依ってこのシングルは分裂期のNeil Hillが率いる"SPK"の作品である。初期のシングル録音時のメンバーのDanny Rumour、David Virgin、Karmel.E.Klasticは、既に脱退しており、Neil Hillの妻のMargaret Hillも含む新メンバーでのレコーディングとなっている。さて、音の方だが「See Saw」は初期シングルのエレクトロニクス・ノイズ・パンク的サウンドからノイズはかなり抑えられており、またNeil Hillが親日家だった為か日本の軍歌の様なフレーズもフューチャーされている。ボーカルもパンクっぽい荒々しさが薄れていて初期の彼らの代表曲「Slogun」などと比べるとインパクトにやや欠けるかもしれない。しかし、「Chambermusik」ではボーカルこそ大人しくなっているが、凄まじいエレクトロニクス・ノイズを放射した本領発揮と言うべきサウンドを聴く事ができる。尚、この「Chambermusik」は、Greame Revellが英国からオーストラリアに戻って、再度Neil Hillと組んで制作したS.P.K.の2ndアルバム「Leichenschrei」に再録音して収録されている。Neil Hillが単独で率いたSPKの作品としてリリースしたのは、このシングル1枚であるが、このシングルをリリースしたM Squaredレーベルのコンピーレション・アルバム「A Selection」に未発表曲の貴重な音源「Zombod」が収録されている。


《Personel》
Neil Hill  (aka Skorne) - synthesizer, drum programming, bass,effects
Margaret Hill (aka Suishi) - voice
Paul Charlier (aka Charlyiev) - bass, synthesizer , voice
Kit Katalog (aka Kitka) - vocals

《Track List》
A.See-Saw
B.Chambermusik

17 July 2013

Deutsch Amerikanische Freundschaft ‎– Kebabträume / Gewalt [7"EP/Mute ‎MUTE 005 1980 UK]

D.A.F.の1980年に英国のMute Recordsからリリースされた1stシングル。このシングルはMuteからの2ndアルバム「Die Kleinen Und Die Bösen」の前に発表された作品で、2ndアルバム録音前には脱退していた初期のメンバー、Michael Kemner(b)もクレジットされており、Gabi Delgado(vo)、Robert Görl(ds)、Wolfgang Spelmans(g)、Chrislo Haas(synth)の5人編成時代に英国のCargo Studiosで録音されている。因にベーシストのMichael Kemnerは後に同じくD.A.F.を脱退するギタリストのWolfgang Spelmansとパンク・バンド"Mau Mau"を結成している。タイトル曲「Kebabträume」はGabi DelgadoがD.A.F.以前に在籍していたパンク・バンド"Mittagspause"時代に書かれた「Militurk」がオリジナルであり、また、D.A.F.の5thアルバム「Für Immer」にも収録されているが、アレンジはまったくの別物である。さて、音の方はこの時期、このメンバーで録った曲だけに基本的には2ndアルバム「Die Kleinen Und Die Bösen」の頃の音である。つまり、Chrislo Haasの作った反復するアシッドなシンセをベースにRobert Görlのハンマー・ビート、Wolfgang Spelmansのフランジャーの掛かったノイジーなギターと、2人組D.A.F.のダンサブルなアレンジとは違い、エレクトロ・パンクなアレンジを聴く事が出来る。ボーカルのGabi Delgadoはこの曲でも2ndアルバム同様に甲高い声で歌っていて、Virginからリリースされる3rd以降での男臭いボーカルが別人の様だ。一方、B.sideの「Gewalt」は2ndアルバムにライブバージョンで収録されていた曲で、今回はそのスタジオバージョン。A.sideの「Kebabträume」とは打って変わって「Gewalt = 暴力」のタイトル通りの吐き出す様なGabi Delgadoのボーカルが印象的。スピーディでタイトなリズムに異様な電子ノイズと荒々しくノイジーなギター・サウンドが炸裂するエレクトロ・パンク・チューンで、初期のD.A.F.はパンク・バンドだと再認識させられる作品でD.A.F.の歴史を知る上でも重要な1枚。尚、このシングルの2曲はMuteから2007年にリリースされたコンピレーションの10枚組CDアルバム「Mute Audio Documents «1978 - 1984»」で聴く事が出来る。


《Track List》
A.Kebabträume
B.Gewalt


4 July 2013

New Order ‎– Ceremony [12"EP/Factory FAC 33/12 1981 UK]

New Order (ニュー・オーダー)は1980年の5月に成功を期待されたJoy division (ジョイ・ディヴィジョン)のアメリカ・ツアー出発前日の18日にボーカルでフロントマンであるIan Curtisが自殺するという悲劇が起こり、残されたメンバーのBernard Sumner (vo, g)、Peter Hook (b)、Steven Morris (ds)の3人がJoy Divisionから名称を変えて再スタートしたバンドである。後にSteven Morris のガール・フレンドの Gillian Gilbert (g, key)が正式に加わり4人組となる。この「Ceremony」はNew Orderの1stシングルだが、この曲自体はJoy Division時代に書かれた作品であり、Ian Curtisもクレジットされている。因みにこの曲のオリジナルはJoy Divisionの未発表曲とIan Curtisのバーミンガム大学でのラスト・ライブを収めた編集版アルバム「Still」ではライブ・バージョン、これも編集版でCD4枚組Boxの「Heart And Soul」ではデモ・バージョンを聴くことが出来る。この残された曲をレコーディングするのにIan Curtisが書いたオリジナルの歌詞が残っていなかった為、Bernard Sumnerが録音状態が良くないデモ・バージョンのテープをグラフィック・イコライザーに掛けながら歌詞を起こしたり、ボーカルを誰にするかなど試行錯誤がかなりあったようだ。そして、1980年のキャンセルとなっていた5月のアメリカ・ツアーの代行ライブを9月にNew Orderとして敢行するがその際にニュージャージー州のスタジオでMartin Hannettプロデュースによって「Ceremony」とB面になる「In A Lonely Place」の2曲がシングルとして正式にレコーディングされる。このレコーディングはオリジナルメンバーの3人で行われ、この3人バージョンは1981年1月に7インチ(ブロンズに型押しの文字のジャケット)、3月に12インチ(ダーク・グリーンにゴールドの文字のジャケット)でリリースされ、その後、Gillian Gilberがメンバーに加わった為、「Ceremony」の4人バージョンを10月に彼らの地元マンチェスターで再レコーディングし、この4人バージョンは1981年7月に12インチ(アイボリーとブルーのツートーンのジャケット)で再リリースされている。この曲のサウンド自体はまだJoy Division色が色濃く残っているが、「Love Will Tear Us Apart」に匹敵する名曲でリード・ボーカルをBernard Sumnerが務めて、あまり上手くはないが繊細なボーカルを披露し、ベースのPeter Hookは高音域を強調したベース・プレイで曲をリードし、その後のNew Orderサウンドへ繋がる部分も垣間見せている。尚、この曲は後にNew Orderの1987年リリースのシングル集「Substance」に4人組バージョンが収録され、3人バージョンは2005年の「Singles」に収録されている。どちらのバージョンも甲乙付けがたいが、個人的にはリズムがクリアになり、スッキリ録られた4人バージョンより、ややノイジーでラフな感じに録られた3人バージョンが気に入っている。


《Track List》
A.Ceremony
B.In A Lonely Place



30 June 2013

Basement 5 ‎– 1965 - 1980 [LP/Island Records ‎ILPS 9641 1980 UK]

Basement 5 (ベースメント・ファイヴ)は1978年英国ロンドンで結成されたレゲエ経由のPost-Punkバンド。メンバー全員黒人だった事とそのサウンドから「黒いP.I.L.」と言われた。彼らはP.I.L.の1978年のクリスマスにレインボーで行われたライブのサポートでデビューする。メンバーチェンジが多かったこのバンドは当初、ボーカルをWinston Fergusが担当し、その後、一時的にクラブ"Roxy"のDJだったDon Lettsに、そして最終的にはP.I.L.のJohn Lydonの友人Dennis Morris が受け継いた。ドラム担当の方は当初、Anthony Thompsonだったがアルバム制作の初日に離脱し、元The 101ers、P.I.L.のRichard Dudanski が新メンバーとして加わる。そして、J.R.ことHumphrey Murray (guitar)、Leo Williams (bass)らが主要メンバーである。メンバーの経歴が凄いのでざっと紹介すると、ボーカルのDennis MorrisはSex PistolsやBob Marleyなどの写真で知られる 著名なロック写真家で、バンドでは作詞も手がけ、ジャケットに使用されたロゴ・デザインも担当した。因みにP.I.L.の2ndアルバム「Metal Box」のフィルム缶に収めるというアイデアも彼の発案だった。元ボーカルのDon LettsもJohn Rydonの友人で彼とP.I.L.のベーシストJah Wobbleにレゲエを紹介した人物である。Richard Dudanskiは後にドラマーとしてThe Raincoatsにも参加していて、さらにLeo Williamsはバンド解散後に先に紹介したDon Lettsと元The CrushのMick Jonesが結成したBig Audio Dynamiteに参加するなど才能溢れる凄いメンツがこのバンドには揃っていた。彼らの曲は当時の英国の若者の高い失業率、労働者階級の貧困によるストライキ、また人種差別などのMargaret Thatcher政権を痛烈に批判する内容が中心であった。「1965 - 1980」と題されたアルバムは彼らのデビュー・アルバムであり唯一のアルバムである。1980年の8月に録音され、プロデューサーにはFactory RecordsのJoy Division、A Certain RatioなどのプロデュースでおなじみのMartin Hannettが担当した。意外な組み合わせではあるが、Martin Hannettお得意のノイジーなドラムサウンドとノイジーなギター、そしてレゲエ特有のダブが融合したPost-Punkの大傑作。警察のサイレンをイメージしたギター・リフでスタートするA1.Riot、シングルになったB1.Last White Christmasはこのアルバムのベスト・トラック。これだけのメンツが揃い、音も素晴らしいのだが、意外にも地下に埋もれた存在になってしまっている所が残念だ。P.I.L.やGang Of Four、Killing JokeなどのPost-Punkが好きな人には是非お薦めの作品。


《Track List》
A1.Riot
A2.No Ball Games
A3.Hard Work
A4.Immigration
B1.Last White Christmas
B2.Heavy Traffic
B3.Union Games
B4.Too Soon
B5.Omega Man


23 June 2013

The Specials ‎– Specials [LP/Two-Tone Records ‎– CDL TT 5001 1979 UK]

The Specials (ザ・スペシャルズ)は1977年に英国中部の工業都市コヴェントリーで結成された白人と黒人の混成バンドでレゲエ・バンドThe Automaticsがその前身である。オリジナルメンバーはリーダーのJerry Dammers (vo,key)、Sir Horace Gentleman (b)、Lynval Golding (g)の3人で、その後、Terry Hall (vo)、Neville Staple (vo,per)、Roddy Byers (g)、が加わった。1978年夏のThe Clashの"One People Tour"の前座に起用されるが、同名のバンドがレコード会社と契約を結んだことを知った彼らは急遽"The Specials"と改名した。1979年に自らのレーベル"2 tone"を設立するが、名称は白人、黒人の混成バンドに因んで付けられ、白と黒の市松模様がレーベルのトレード・マークになった。1stシングル「Gangstars」のレコーディング前にJohn Bradbury (ds)が加わり、The Specialsは7人編成のバンドになる。1979年7月にリリースされた1stシングル「Gangstars」はRough Tradeの援助を受けて発売されると大ヒットとなって全英チャート6位を記録した。これで注目を浴びた彼らはメジャーのレコード会社の争奪戦の末、2 Toneレーベル全体との契約条件を申し出たCrysalisと配給契約を結ぶ。2 ToneレーベルからはMadness、The Selecter、The Beatなどを輩出するなど、2 Toneスカ・ブームを巻き起こした。当時、音楽の世界ではほとんど断絶していた白人と黒人移民が一緒にバンドを組み、音楽そのものを混血させたのは彼らが元祖である。この「Specials」は1979年10月に発売された彼らのデビューアルバム。プロデュースはElvis Costelloが担当した。元々、結成当初の彼らはパンキー・レゲエなサウンドを目指していていたが、この両者の融合は結果的に上手く行かず、試行錯誤の末に行き着いたのがスカのテンポを上げての融合だった。この目論みは見事に成功し、ジャマイカの60年代スカの細切れビートとパンクのスピーディーで激しいエネルギーで増幅させ、それらを見事に融合させたハイブリッド・サウンドである。もちろん本物のレゲエやスカなどに比べればビートは前のめりで、Terry Hallのボーカルは線の細さを感じさせるが、これが却ってリアルなストリート感覚を表現している。また、プロデューサーのElvis Costelloがあえて手を加えなかったこともあり、バンドの生のエネルギーが余すところなく収められている。このアルバムは後に世界中からフォロワーを生み出すスカ系のバンドの原型となった名盤である。


《Track List》
A1.A Message To You Rudy
A2.Do The Dog
A3.It's Up To You
A4.Nite Klub
A5.Dosn't Make It Alright
A6.Concrete Jongle
A7.Too Hot
B1.Monkey Man
B2.(Dawning Of A) New Era
B3.Blank Expression
B4.Stupid Marriage
B5.Too Mach Too Young
B6.Little Bitch
B7.You're Wondering Now


7 June 2013

The Cure - Three Imaginary Boys [LP/Fiction FIX-1 1979 UK]

The Cure (ザ・キュアー)は1976年英国サセックス州のクローリーで当時アート・スクールの学生だったRobert Smith (vocals,gaiter)を中心に同級生のMichael Dempsey (bass)、Laurence Tolhurst (drums,key)らで結成されたスリー・ピース・バンドEasy Cureが母体である。Easy Cure時代は比較的オーソドックスなパンク・サウンドを演奏していた。1978年にインディー・レーベルのSmall WonderからThe Cureとして「Killing An Arab」でデビューする。この曲はフランスの小説家Albert Camusの「L'Étranger = 異邦人」をモチーフにしている作品だが当時のジャーナリストの評価は芳しくなかった。その後、彼らはChris Parryの目に留まり、彼がPolydorの傘下に設立したばかりのFiction Recordsと契約する。レーベル第1号アーティストとして翌年の1979年の2月にデビュー・シングルの「Killing An Arab」を再発し、同年5月にリリースされたのが彼らのデビュー・アルバム「Three Imaginary Boys」だ。このアルバムはシングル曲が1曲も入っていないにも関らず全英チャート44位まで上昇した。Post-Punk期の真っ只中にリリースされたこの作品は彼らがダーク・ウェイブに変化する前のPost-Punk的サウンドを聴く事が出来る貴重なデビュー作で、彼らの歴史を知る上で重要な1枚であろう。さて、音の方は、かなりシンプルで隙間の多いチープな感触だが、スカスカのギター・サウンドながらRobert Smith独特の捻くれたアレンジとポップセンスが生み出すクールな空間は彼らならではの個性を早くも発揮している。特にA3.Grinding Haltはアップテンポのリズムにキャッチーなメロディでシングルに匹敵する好ナンバー。その後、彼らは間髪入れずに初期を代表する名曲「Boys Don't Cry」、「Junping Sometone Else's Train」のシングル2枚をリリース。残念ながら、それに前後してオリジナル・メンバーのMichael Dempseyが脱退。新たにSimon Gallup とMatthieu Hartleyが加わって4人組となり、Robert SmithはSiouxsie and the Bansheesのツアーにギタリストとして参加している。尚、このアルバムには上記のシングル曲は収録されていないが、翌年1980年に米国ツアーの際に発表された編集盤は「Three Imaginary Boys」から9曲とシングルの3曲を加え「Boys Don't Cry」として発売されている。


《Track List》
A1.10:15 Saturday Night
A2.Accuracy
A3.Grinding Halt
A4.Another Day
A5.Object
A6.Subway Song
B1.Foxy Lady
B2.Meathook
B3.So What?
B4.Fire In Cairo
B5.It's Not You
B6.Three Imaginary Boys
B7.The Weedy Burton


6 June 2013

Depeche Mode - Speak & Spell [LP/Mute STUMM 5 1981 UK]

Depeche Mode(デペッシュ・モード)は1980年に英国エセックス州バジルトンで結成されたエレクトロ・ポップ・バンド。バンド名はフランスのファッション雑誌"Dépêche mode"から引用して名付けられた。元々は、1979年にVince ClarkeとMartin Goreが組んでいたFranch Lookというバンドが母体で、その後の1980年にAndrew Fletcherとボーカル担当のDave Gahanが加入して4人組として活動する。結成当初は、ギター、ベース、シンセサイザーという普通のバンド編成だったが、後に4人のメンバー全員シンセサイザーを演奏する変わったスタイルになった。彼らの最初の正式な楽曲は、1981年にリリースされたStevo率いるSome Bizzareレーベルのコンピレーション・アルバム「Some Bizzare Album」に収められた「Photographic」である。このアルバムにはSoft Cell、The Theも参加していた。しかし、StevoはDepeche Modeはポップ過ぎてありきたりという事で契約は見送られ、彼はSoft CellとThe Theと契約する。ただ、その後のSome Bizzareと所属アーティスト間の様々なトラブルを見る限り、ここで正式契約のオファーがなかったのは寧ろ、運が良かったと言えよう。そして、このアルバムの彼らのエレクトロ・サウンドを評価していたDaniel MillerのMute Recordsと契約。この契約は彼らの、そしてMuteにとって重要なターニングポイントとなった。1981年にMuteからデビュー・シングル「Dreaming Of Me」を発表し、全英チャート57位を記録する。3ヶ月という短いインターバルでリリースされた2ndシングル「New Life」は全英チャート11位まで上昇。そして、3rdシングル「Just Can't Get Enough」は全英チャート8位のスマッシュヒットになり、初期の代表作となった。このアルバム「Speak & Spell」は1981年に発表された彼らのデビューアルバムである。タイトルのSpeak & Spellは米国のTexas Instuments社の子供用玩具の名前である。このアルバムではほとんどの楽曲をVince Clarkeが書いており、曲調やインストの感触は後のYazoo、Erasureに繋がるもので、アナログ・シンセを駆使したエレクトロ・ポップ・サウンドを聴く事が出来る。アルバム全曲で軽快なポップ・サウンドが展開されるが日本でもTVCMに使われた「Just Can't Get Enough」は未だ色褪せない名曲だ。このアルバムを最後にVince Clarkeはバンドを脱退して、それ以降Depeche Modeはサウンドを変質させて行くが個人的には、この1stアルバムがベストだと思っている。


《Track List》
A1.New Life
A2.I Sometimes Wish I Was Dead
A3.Puppets
A4.Boys Say Go!
A5.Nodisco
A6.What's Your Name?
B1.Photographic
B2.Tora! Tora! Tora!
B3.Big Muff
B4.Any Second Now (Voices)
B5.Just Can't Get Enough


4 June 2013

Soft Cell ‎– Non-Stop Erotic Cabaret [LP/Some Bizzare BZLP 2 1981 UK]


Soft Cell(ソフト・セル)は1978年に英国の地方都市リーズでMark Armond(vocals)、Dave Ball(synthesizers)を中心に結成されたエレクトロ・ポップ・デュオ。1980年代のニューウェイブを代表するグループである。彼らはリーズのアートスクールで出会い、エレクトロ・ミュージック好きで特にSuicideに影響されていたMark Armondとノーザン・ソウルと60年代のポップ・ミュージック好きだったDave Ballの趣味がぶつかり合う事で誕生した。1980年に自身のレーベルA Big Frock Recordからデビューシングル「Mutant Moments」発表する。これはDave Ballの母親から借りた資金で製作され限定2000枚でプレスされたが2000枚というわずかな枚数のリリースの為、ファンの間ではかなりのコレクターズ・アイテムになっている。このシングルがSome BizzareレーベルのStevoの興味を引いた彼らは1981年にStevoが自費でリリースするレーベル初のコンピレーションアルバム「Some Bizzare Album」に「The Girl With A Patent Leather Face」という曲で参加する。このアルバムには、当時無名のDepeche ModeやThe Theなども参加していた。2ndシングル「A Man Can Get Lost/Memorabilia」をMuteのDaniel Millerのプロデュースでクラブヒットを飛ばした後、3rdシングルの「Tainted Love」の大ヒットで彼らは人気を不動のものにする。この曲はGloria Jonesが1964年にリリースしたカヴァーで全英チャート1位、全米チャート8位にまで上昇し、43週もの間チャートインという記録的ヒットとなった。この「Non-Stop Erotic Cabaret」は1981年に発表された1stアルバムでプロデュースはMike Thorneが担当し、レコーディングはニューヨークで行われた。さて、音の方はシンセサイザー担当のDave Ballの作る無機質でエレクトロなバックトラックにMark Armaondの演劇風で癖のあるソウルフルなヴォーカルが絡むという当時には無かったスタイル。このスタイルは後にあのYazooが踏襲することとなる。また、音のポップさとは裏腹に同性愛、ドラッグなどの裏社会の本質を取り入れた退発的な歌詩を用いるなど、同時期に出てきたエレポップ系のアーティストとは一線を画していた。この傑作アルバムは全10曲捨て曲無しだが、個人的にはシングルヒットのA2. Tainted Love、A5.Sex Dwarf、B3.Bedsitter、そして、ラストを飾るバラード曲のB5.Say Hello, Wave Goodbyeがお薦めだ。


《Track List》
A1.Frustration
A2.Tainted Love
A3.Seedy Films
A4.Youth
A5.Sex Dwarf
B1.Entertain Me
B2.Chips On My Shoulder
B3.Bedsitter
B4.Secret Life
B5.Say Hello, Wave Goodbye


18 May 2013

Joy Division - Love Will Tear Us Apart [12"EP/Factory Fac 23-12 1980 UK]

Joy DivisionのボーカルのIan Cirtisは1980年5月18日に自宅アパートで首を吊って自殺した。当時23歳の若さであった。本日、2013年5月18日はIan Cirtisの命日で33回忌を迎える。ということで今回は彼の遺作シングルとなった名盤「Love Will Tear Us Apart」を紹介する。このシングルは彼が自殺するちょうど1ヶ月前の1980年4月18日にリリースされ、最終的に全英ヒットチャート13位まで上昇し、当時のインディーズレーベルの作品としては異例のヒットになった。ただ、突然の自殺でIan Cirtisを失ってショックを受けていた彼らにとっては初のヒットも「当然喜べなかったし、俺たちとは関係なかった、ただ、通り過ぎていく感じだった」と後年、メンバーのPeter Hookは語っている。このシングルは数々のバージョンが存在するがレコーディング自体は2回に渡って行われ、1980年の1月にオールダムのPennineスタジオで収録されたテイクと1980年3月にストックポートのStrawberryスタジオで収録のテイクが存在する。前者は後者よりもアップテンポでエフェクトが強調されたサウンドにエンディングもフェイドアウトせず終了するバージョンで、これがオリジナルバージョンであったが、結果的にはややアコースティックな感触の後者がシングルバージョンとしてリリースされた。すべてのバージョン甲乙付けがたいが、個人的にはベストアルバム「Permanent」に収録されているシングルバージョンのエンディングをIanのギタープレイでフェイドアウトしていくアレンジになったPermanent Mixが好きだ。音の方は高音でメロディアスな旋律を奏でるPeterの独特のベースに、人力テクノの様なメカニカルな音色のドラム、そして幻想的で美しく響くシンセサイザー、切ない歌詞を淡々と歌い上げるIanのボーカルが完璧にマッチしていて、これはもう完全にNew Orderのプロトタイプと言うべき音になっている。この曲はThe CureやU2など数々のアーティストがカヴァーされているが、時代を超えて今なおカヴァーされ続けている超名盤である。尚、Ian Cirtisの墓石には彼の妻Deborah Cirtisの希望により"LOVE WILL TEAR US APART"と刻まれている。


《Track List》
A1.Love Will Tear Us Apart (Recorded In Strawberry Studio)
B1.These Day
B2.Love Will Tear Us Apart (Recorded In Pennine Studio)

15 May 2013

The Flying Lizards ‎– The Flying Lizards [LP/Virgin V2150 1980 UK]

The Flying Lizards(ザ・フライング・リザーズ)はDavid Cunningham(デヴィッド・カニンガム)が結成したワンマン・プロジェクト。David Cunninghamは北アイルランドのアートスクールの出身でダダイストに影響を受け、現代音楽やフリー・フォーム・ミュージックに接しながら自己の表現方法を探っていたが、本格的に音楽活動を始めたのはロンドンに出てThis HeatやThe Pop Groupらに出会ってからである。そして、自身のソロ作「Gray Scale」の音源作成、This Heatのデビューアルバムのプロデュースなどを経て1978年にデビューシングル「Summer Time Blues」をVirgin Recordsからリリースする。続いて翌年の1979年に2ndシングル「Money」もリリース、このシングルは全英ヒットチャート5位まで上昇するスマッシュヒットになったが、そのレコーディング費用は何と僅か6ポンド50ペンスであったという。このヒットで一躍脚光を浴びた彼は1980年2月に上記のシングル2曲を含むデビューアルバム「The Flying Lizards」をリリースした。元々楽器の演奏が出来た訳ではない彼はまず、あらゆるレコーディングのルールや通常の音楽演奏の拒否から始まった。冷凍倉庫にテープレコーダーを持ち込み、シンセを通した段ボールをドラム代わりに叩いたり、楽器以外の物を使い、ダブ、テープエフェクト、コラージュなどの手法を駆使、それらを巧みに音響編集してロックンロールやファンクの解体と再構築を見事にやってのけている。かと言ってスノッブな感じは無く、脱力系の女性ヴォーカルをフューチャーしたユニークでポップにまとめあげていて彼の型破りなアイデアを実験精神で発揮しているアルバム。


《Track List》
A1.Mandelay Song
A2.Her Story
A3.TV
A4.Russia
A5.Summertime Blues
B1.Money
B2.The Flood
B3.Trouble
B4.Events During Flood
B5.The Window


13 May 2013

Orchestral Manoeuvres In The Dark ‎– Orchestral Manoeuvres In The Dark [LP/Dindisc ‎DID 2 1980 UK]

Orchestral Manoeuvres In The Dark(オーケストラル・マヌヴァーズ・イン・ザ・ダーク)はKraftWerkに影響を受けたPaul Humphreys(synthesizers)、Andy Mcluskey(vocals)の二人で1978年英国リヴァプールで結成されたシンセ・ポップ・バンドである。このバンド名のOrchestral Manoeuvres In The Darkとは直訳すると「暗闇の中の管弦楽団」である。彼らのデビューライブはあのリヴァプールの伝説のクラブ「Eric's」だった。そこでTony Willsonの目に留まった彼らは1979年デビューシングル「Electricity」を彼のレーベルFactory RecordsからMartin Hannettのプロデュースで5000枚限定でリリースする。しかし、ポップ過ぎる彼らの音楽がレーベルのイメージに合わないと判断したTony Willsonから「君たちは幅広い層を対象に出来る才能がある。メジャーレーベルからレコードを発表した方がいい。」と薦められメジャーレーベルのVirgin Recordsの傘下のDindisc Recordsへ移籍することになった。このアルバムは1980年発表の1stアルバム。穴開きのジャケットがまず目を引くが、これはデビューシングルに引き続き、Factory RecordsのPeter Savilleがデザインを担当している。さて、音の方は後のポップでキャッチーな音楽性を若干垣間みることも出来るが、当時の機材の限界による為なのか乾いたリズムボックスの音色や時にノイジーに聴こえるシンセなど粗削りで実験性を感じさせる部分もあり、個人的には後のポップなOMDよりもちょっと粗削りなこのアルバムの方が好きだ。もちろんOMDらしいポップな楽曲や、シングル「Electricity」なども収録されておりバラエティに富んだ内容になっている。2003年に再発されたCDヴァージョンはオリジナルにボーナストラックが6曲追加されているが、その中でもFactoryからリリースされたMartin Hannettプロデュースの7”ヴァージョン「Electricity」も収録されており、こちらのバージョンは如何にもMartin Hannetらしいリヴァーブの効いたサウンドにアレンジされており超オススメだ。


《Track List》
A1.Bunker Soliders
A2.Almost
A3.Mystreality
A4.Electricity
A5.The Messerschmitt Twins
B1.Messages
B2.Julia's Song
B3.Red Frame/White Light
B4.Dancing
B5.Pretending To See The Future


29 April 2013

Joy Division ‎– Closer [LP/Factory Fact 25 1980 UK]

Joy Divisionのフロントマン、Ian Curtis自殺後にリリースされた伝説の2ndアルバム。事実上、これがJoy Divisionにとってラスト・スタジオ・アルバムになる。このアルバムは1980年3月ロンドンのBritannia RowスタジオでMartin Hannettのプロデュースで録音された。当初このアルバムの発売に関してはFactoryレコード社長のTony WillsonはIan Curtisの自殺をニューアルバム宣伝材料にしたくないという理由で発売を躊躇っていた。しかし、ファンからの発売を求める声が凄く予定より1ヶ月遅れの7月にリリースされた。1stアルバムから1年後にリリースになるこの2ndアルバムはクラウトロックからの影響を感じさせるハンマー・ビートを基調とする部分は変わらないものの、多彩なパーカッションアレンジ、エレクトロニクスの使用もこなれて来ており、粗削りな面は薄れてよりゴシックタッチなサウンドアプローチがされたダークだが繊細で研ぎすまされた美しい作品になっている。全曲完成度の高い楽曲だが、オープニングを飾るパーカッシヴなリズムにノイジーのSEが絡むAtrocity Exhibition、メタリックなハンマービートに煌びやかなシンセが交錯するA2.Isolationは秀逸。そしてラスト2曲はIan自身が自ら死を予見しているかの様な葬送曲でこのアルバムのエンディングを飾るに相応しいダークで美しいナンバー。バンドの方はこのアルバム録音後、4月には名曲シングル「Love Will Tear Us Apart」をリリースし、米国ワーナーから100万ドルでのオファーやアメリカツアーも決まり、ライブ活動も精力的にこなすなど順風満帆に見えた。しかし、好調な周りの状況とは裏腹にIanの持病であるてんかんの発作はますます酷くなり、自らの持病や女性問題などで極度のストレスに晒された彼はバンド初のアメリカツアー出発前日の1980年5月18日に自宅アパートで首吊り自殺を遂げてしまう。まだ、23歳の若さだった。このアルバム・ジャケットはIanの死をイメージさせる墓の写真を使用しているが、これはIanが自殺したから使用したのではなく、彼が自殺前にデザイナーのPeter Savilleが「Closer」のジャケット・デザイン用に用意してた写真を数枚メンバーに見せ、選んだのが偶然にもこの墓の写真でIan自身も気に入っていたという。偶然とはいえ恐ろしくドラマティックなストーリーだ。Ianを失い、Joy Divisionは消滅するが、悲劇を乗り越え、彼らはNew Oerderとして復活を遂げる。このアルバムには収録されていないが、Ian Cirtis への葬送曲として最も相応しい「Atomosphere」の動画を貼付けて置きます。Ian Cirtis R.I.P

《Track List》
A1.Atrocity Exhibition
A2.Isolation
A3.Passover
A4.Colony
A5.A Means To An End
B1.Heart And Soul
B2.Twenty For Hours
B3.The Eternal
B4.Decades


27 April 2013

Killing Joke- Killing Joke [LP/EG EGMD 5.45 1980 UK]

Killing Joke(キリング・ジョーク)は1978年に英国ロンドンでJeremy "Jaz" Coleman (vocals,key)を中心にPaul Ferguson (drums)、Martin "Youth" Glover (bass)、Kevin "Geordie" Walker (gaiter)ら4人で結成されたPost-Punkバンド。元々P.I.L.のフォロワーだった彼らは翌年の1979年に自主制作でシングル「Turn To Red」をリリース。このシングルではP.I.L.の影響を感じさせるようなレゲエやダブを取り入れたサウンドが聴ける。これが人気DJ、John Peelのラジオ番組"Peel Session"に取り上げられて評判になった。1980年に発表された2ndシングル「War Dance」ではヘヴィーで激しく速いサウンドに変貌を遂げており、アルバムに繋がる原型を聴く事が出来る。さらに、彼らの凄まじいライブも評判となりメジャーレーベルVirginの傘下のE.G Recordsと契約。当時彼らは、P.I.L.、Joy Division、The Pop Groupらと共にPost-Punkの旗手的存在だった。この「Killing Joke」は1980年にE.G Recordsから発表された1stアルバム。このアルバムは全英チャート39位をマークした。さて、音の方は太く、ブンブンと唸るベースに、超重量級なハンマービート、ノコギリの歯の様にギザギザに尖ったメタリックなギターにディストーション掛かりまくりのシンセ、そしてJazの深く唸り上げるように怒りを漂わせたヴォーカルはテンションが高く、スリリングで緊張感を強いられるサウンドで恐ろしくカッコイイ。とにかく、とんでもないエネルギーが放出されていて、今、聴いても決して古く感じない。後続のインダストリアル・メタル系アーティストのMinistryやNine Inch Nailらなどにも多大な影響を与えたハードコア・ミュージックの大傑作。多作な彼らだが、このアルバムは間違いなくベストの部類であろう。このアルバムは全8曲捨て曲なしだが、A1.Requiem、A2.War Dance、A4.Bloodspot、B1.The Waitは超オススメ。


《Track List》
A1.Requiem
A2.War Dance
A3.Tomorrow's World
A4.Bloodspot
B1.The Wait
B2.Compilications
B3.S.O.36
B4.Primitive




25 April 2013

Section 25 - Always Now [LP/Factory Fact 45 1981 UK]

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Section 25は英国北部の都市ランカシャー州のブラックプールで1977年に2人の兄弟、兄のLarry Cassidy(bass,vocals)弟のVincent Cassidy(drums)で結成された。Paul Wiggin(guiter)が翌年11月に加わり3人組として活動を開始する。バンド名は精神健康法の条項が由来。レコードデビューは1980年の6月で7”シングル「Girl Don't Count」をFactory Recordsから発売する。このシングルのプロデューサーはレーベルメイトのJoy DivisionのIan Curtisと同マネージャー、Rob Grettonの二人が担当していて、Joy Divisionを彷彿とさせる暗黒Post-Punkサウンドになっている。このアルバムはFactoryのデザイナーPeter Savilleのデザインが凝っていて後面がカードポシェット型のデザインにイエローのジャケットの表面はワックス加工、ジャケット内側とインナースリーブには特許が掛けられているマーブル模様の特殊な素材を使っており、その為このレコードがプレスされる度にライセンス料が発生していた。採算を度外視して物作りをしていたFactoryらしいエピソードだ。さて、音の方だがプロデューサーMartin Hannettのお得意のエフェクトを掛けたノイジーなドラムサウンドとダークなシンセ、ミドルテンポのリズムに抑揚ない呟くようなボーカルとサイケデリックなギターとアルバム全般に陰鬱さが漂う暗黒サイケサウンド。レーベルメイトのJoy Divisionや後のNew Order、A Certain Ratioらのような華はないが、B級の魅力というか何故か癖になる魅力を持っている。その後、彼らはアメリカツアーを目前にギタリストのPaul Wigginが高所恐怖症を理由に飛行機での出発を拒否。これがきっかけでPaul Wigginは脱退、ギタリストを失ったSection25は新たなメンバーで再スタートを切り、レーベルメイトNew Orderの後を追う様にエレクトロニクスを駆使したダンサブル路線を進むこととなる。


《Track List》
A1.Friendly Fires
A2.Dirty Disco
A3.C.P.
A4.Loose Talk (Costs Lives)
A5.Inside Out
A6.Melt Close
B1.Hit
B2.Babies In The Bardo
B3.Be Brave
B4.New Horizon


24 April 2013

Cabaret Voltaire - The Voice Of America [LP/Rough Trade ROUGH 11 1980 UK]

英国の工業都市シェフィールド出身のCabaret Voltaire(キャバレー・ヴォルテール)の1980年にRough Tradeからリリースされた2ndアルバム。グループ結成の経緯は《→This》このアルバムタイトルの「The Voice Of America」はアメリカの放送局の名称だが、それは彼らがアメリカに訪れた際に、あまりにも多いテレビ局と一晩中放送を垂れ流すという英国とは掛け離れた事実に衝撃を受け命名された。そして、インタビューでRichard.H.Kirkは「僕らはアメリカの自由に魅了されたが、別のダークサイドも意識していた」と語っている。取り分け彼らが興味を持ったのがテレビで観たScott宣教師の安っぽい番組で、後にScott宣教師の声は「Sluggin Fer Jesus」で採用されている。さて、この2ndアルバムは、初期のシングルや1stアルバムよりも所謂ニューウェイブっぽいノリは排除されてエクスペリメンタルに徹している。音のほうはCab'sお得意のディレイの掛かったチープなリズムボックスで反復する催眠的なリズムが軸になり、その反復リズムにエフェクトを極端に掛けたノイジーなギター、そこに呪術的なボーカル、テープによるヴォイスサンプルや金属的パーカッションや具体音がカットアップ、コラージュされ、不気味に絡んでいくインダストリアルサウンド。殺伐としていて荒涼とした風景を想起させられる音楽だが、不況だった当時の工業都市シェフィールドの経済状況を反映している。正直、現在の音の水準で言えばチープな感じは否めないが、当時はサンプラーなどもなく楽器もまともに演奏出来ない彼らがインスパイアされた作家W.S.Burroughsのカットアップ手法をレコード技術上ででさらに発展させた「Mix Up」手法を完成させた一枚。初期Cab'sの傑作である。


《Track List》
A1.The Voice Of America / Damage Is Done
A2.Partially Submerged
A3.Kneel To The Boss
A4.Premonition
B1.This Is Entertainment
B2.If The Shadows Could March? (1974)
B3.Stay Out Of It
B4.Obsession
B5.News From Nowhere
B6.Messages Received


19 April 2013

Esplendor Geométrico - EG 01 [MC/Datenverarbeitung data0011 1982 GER]

Esplendor Geométrico(エスプレンドール・ゲオメトリコ)(以下E.G)は1980年9月スペインのマドリッドで結成された。初期のメンバーはArturo Lanz(アルツロ・ランツ)、Gabriel Riaza(ガブリエル・リアサ)、Juan Calos Sastre(ファン・カルロス・サストレ)の3人。彼らはもともとDEVOに影響を受けたというテクノ・バンドEl Aviador Droのメンバーであったが音楽的見解の違いから分裂してE.Gの結成となった。因みにグループ名Esplendor Geométricoとは(幾何学的なきらめき)はイタリアの未来派詩人F.T.マリネッティのエッセイ「幾何学的および機械的輝きと数的感受性」から取られている。伝説的と言われた彼らだがその所以は当時スペインで最初のインダストリアルバンドであり、インディペンデント・バンドであったからだ。E.Gの最初のレコードリリースは1981年、7''Singleをスペイン国内のみでリリース。そして、このカセット「EG1」は81年9月にスペイン国内で300本限定リリースされた作品の再発で1982年旧西ドイツのDataよりリリースされたが、この作品で一躍、国際的インダストリアルシーンにE.Gの知名度を獲得したエポックメイキング的作品。さて、音の方は腐食したボロボロの金属ビートの反復が延々と続き、そこに様々なノイズが絡みつくぶっ壊れたテクノイズサウンド。まるで古いポンコツの機械が暴れだしている様なノイズだ。ただ、ノイジーではあるがリズミックなサウンドなので聴くには苦にならないし、最後まで聴き通せる。この「EG1」は2000年に彼らのレーベルGeometrikからオリジナルの9曲に加え、ボーナストラックで未発表曲を3曲、デモ曲を3曲追加した「EG-1+」としてCDで再発された。現在も現役の彼らはアルバムリリースもコンスタントにしている。後のAphex TwinやAutechre、Pansonicなどメジャーなテクノアーティストに多大な影響与えた重要なグループだ。


《Track List》
A1.Muerte A Escala Industrial
A2.Neuridina
A3.El Cabecilla Del Vaticano
A4.La Ciudad De Los Heroes Rojos
A5.Amor En Mauthaussen
B1.Paedophile Information Exchange
B2.Destrozaron Sus Ovarios
B3.Quince Años Tiene Mi Amor
B4.Maria Luisa


14 April 2013

Mau Mau - Kraft [LP/Polydor - 2372 107 1982 GER]

Mau Mau (マウ・マウ) はD.A.F.に2ndアルバムまで在籍していたギタリストWolfgung Spelmansと最初期のD.A.F.のメンバーだったベーシストMichael Kemnerが中心になって1981年に結成、その2人の他にFred Heimermann、Lorenz Altendorfが参加している。このバンドの中心人物のWolfgung SpelmansはD.A.F.を脱退した理由を「私は単に曲を作ってギターを弾くだけのギターリストにはなりたくなかった。私には色々アイデアがあったが、それを実現するための自由はD.A.Fではなかった。」とインタビューで答えている。このアルバムはメジャーのPolydorから1982年にリリースされ、Mau Mauにとって唯一のアルバムである。このアルバムにはゲストとしてCANのドラマーJaki LiebezeitがA1,A6で何故かドラムではなくトランペットで参加。またA6,B1,B5で参加しているTabuなる女性ボーカルは非常に透明感のある声の持ち主で、後にMau Mau解散後にWolfgang Spelmansが結成するユニット"Plaza Hotel"にJaki Liebezeitと共に参加している。(これも超おススメ)さて、音の方だが、突んのめる様な性急なビートやファンクっぽいビートに初期D.A.F.風の怪しいシンセ音、そしてSpelmansお得意のシャカシャカギターが絡むジャーマン・ポストパンクというべきサウンドを展開。参加している曲は少ないながらも、Jakiのトランペット、Tabuのボーカルは効果的である。ただ、SpelmansのギターにD.A.F.在籍時代の過激さが後退しているのは少し残念だが、初期のD.A.F.やGerman New Wave好きにはお薦めの一枚。しかし、このアルバムは当時のChrislo Hassが率いた Liaison Dangeruses同様にD.A.F.程の成功は得られず、シングル2枚を残してひっそりとグループは解散してしまう。D.A.F.を脱退した2人の(Chrislo Hass,Wolfgang Spelmans)アルバムを聴くにつけ本当に才能があったと思うし、もしもD.A.F.が分裂せずあの4人のままでバンドとして突き進んで進化していたらと思うと只々残念。


《Track List》
A1.So Weit Die Füße Tragen
A2.Auf Der Jagd
A3.Geradeaus
A4.Alles Lüge
A5.Rhythmus Der Trommel
A6.MM Dub
B1.Mau Mau
B2.Abenteuer Im All
B3.Kampfjacken
B4.Wie Ein Mann (Benimm Dich)
B5.Dondola

11 April 2013

Liaisons Dangereuses ‎– Liaisons Dangereuses [LP/TIS 66.22 433-01 1981 GER ⇒ Reissue CD/Hit Thing CD005 2002 GER]

Liaisons Dangereruses(リエゾン・ダンジェルーズ)は1981年、元D.A.F.のElectronics担当だったChrislo Hassと元ManiaD、Mararia!のBeate Bartel、後にボーカルとしてKrishna Goineauが加わり結成されたハードエレクトロニクスユニット。ユニット名はフランスの小説「Liaisons Dangereruses=危険な関係」から取られた。このアルバムはConny plankスタジオで録音され1981年に発表された唯一のアルバム。このアルバムが発表された当時、分裂したD.A.F.がVirginから発表されたボディ・ミュージックの3部作が好調だった為か、余りに先鋭的過ぎたのかアルバムの評価はいまひとつでD.A.Fのようにブレイクせず、まもなく活動停止。アルバムも廃盤となっていた。そして長らく廃盤だったがデトロイトテクノ勢などの再評価を受け2002年にCDが再発された。さて、音の方だが、さすが元D.A.F.でElectronicsを担当していただけに、D.A.F.の2ndアルバムで展開された異様で変態的なシンセベースに、生ドラムを使わずすべて打ち込みによる無機的で硬質なビート、SEの入れ方もヒネクレていて面白いし、またボーカルやコーラスもクセのある音に負けず変態っぽくてかなりヤバイ。曲調はEBM風あり、Industrial風あり、縦ノリD.A.F.風とバラエティに富んでおり飽きさせない構成になっていて、シングルになった名盤「Los Niños Del Parque 」も収録されている。1981年発表とはにわかに信じ難い驚異の作品。ただ残念ながら、中心人物だったChris Hassは2004年にベルリンで肺癌にて他界されている。


《Track List》
1.Mystère Dans Le Brouillard
2.Los Niños Del Parque
3.Etre Assis Ou Danser
4.Apéritif De La Mort
5.Kess Kill Fê Show
6.Peut Etre...Pas
7.Avant Après Mars
8.I Macho Y La Nena
9.Dupont
10.Liaisons Dangereuses


9 April 2013

Deutsch Amerikanische Freundschaft - Alles Ist Gut [LP/Virgin V-2022 1981 UK]

D.A.F.は前作のMuteからの2nd アルバム「Die Kleinen Und Die Bösen 」で早くも英国での成功を収めたが、今後の方針をめぐって意見が対立してしまい、その結果としてChrislo Hass (electronics,tapes)、Wolfgang Spelmans(guiter)の2人が脱退。Gabi Delgado (vocal)、Robert Görl (drums)だけになったD.A.F.はMuteからVirginへ移籍、この3rdアルバム「Alles Ist Gut」は新生D.A.F.の81年にリリースされた移籍第一弾。プロデュースは2ndから引き続きConny Plankが担当している。音の方は2人が抜けた事もあり、シーケンサーによる反復シンセベースにドラムとボーカルといった贅肉を極限まで削ぎ落とした、非常にシンプルな人力テクノ的なサウンド。但し、シンプルと言ってもただのシンプルでは無く重ねられた異様に野太い音色のシーケンス、跳ねる様な生ドラムによるGörlの筋肉ハンマービート、そしてGabiの煽るように激しく、時にエロティックなボーカルと独創的スタイルを天才プロデューサーのConny Plankと共に創りあげた。 このアルバムからは、シングルとなった名曲「Der Mussolini」も収録されており、この曲のタイトルや男臭いジャケットデザイン、刈り込まれて短髪、レザースーツ、骨太のハードビートといった印象から(ファシズム、ホモセクシャル、筋肉、律動)といった彼らのイメージを定着させる作品となった。このスタイルは後に盛り上がりを見せるElectric Body Musicシーンに多大な影響を与え、数々のフォロワーを生み出した。


《Track List》
A1. Sato-Sato
A2. Der Mussolini
A3. Rote Lippen
A4. Mein Herz Mach Bum
A5. Der Räuber Und Der Prinz
B1. Ich Und Die Wirklichkeit
B2. Als Wär's Das Letzte Mal
B3. Verlier Nacht Den Kopf
B4. Alle Gegen Alle
B5. Alle Ist Gut


6 April 2013

Surgical Penis Klinik - Meat Processing Section [7''EP/Industrial IR0011 1980 UK]

1980年にSurgical Penis Klinik名義でペニスの串刺し写真というショッキングなジャケットで発表されたS.P.K.の7''シングル、「Meat Processing Section」は英国のThrobbing Gristle主宰のIndustrial Recordsから2000枚限定でリリースされた。リリースのきっかけはThrobbing GristleとIndustrial レーベルを気に入っていたオーストラリアのJJJというFM局のDJからの紹介でS.P.K.の存在を知ったIndustrial Recordsは彼らのシングル2枚を聴いて、パワフルな音と独特な視点とアイデアをかなり気に入り、Industrial レーベル側から英国での再リリースを持ち掛けたことで実現した。そして同年12月にはロンドンのクラブHeavenで行われたLiveでThrobbing Gristleと共演している。このシングルの1st エディションの1000枚はジャケット写真がステッカー仕様でのリリースだったが、2ndエディションの1000枚のジャケット写真はプリント仕様に変更になってリリースされている。また、ラベルにミスプリントがありA.sideでは"Factory"と曲名違い、B.sideは"Slogan"とスペルが間違って表記されてしまっている。曲自体は新作ではなくオーストラリア時代の3rdシングル(Mekano-Kontakt-Slogun)から1曲カットしたのもの。さて、曲の方だが基本的にはかなりノイジーで歪曲したエレクトロパンクだがA.sideの「Mekano」は意外な程キャッチーなメロディが印象的。だがB sideに収録された「Slogun」は初期衝動に駆られたクレイジーかつ凶暴なものでS.P.K.の真骨頂。特にボーカルのNe/H/ilの突き抜け方は尋常じゃない。この曲の「kill kill kill for inner peace,bomb bomb bomb for mental health=内なる平和の為に殺せ!殺せ!殺せ!、精神の健全の為に爆弾を!爆弾を!爆弾を!」という歌詞は、まさにこのバンドが借名した旧西ドイツのテロ組織S.P.K.(Sozialistisches Patienten Kollektive=社会主義患者集団)の"Slogun"だ。


《Parsonnel》
EMS AKS: voice, tape, syntheseizer
Ne/H/il: voice, tape, electronic rhythm
Danny Rumour: guitar
David Virgin: bass 


《Track List》
A.Mekano
B.Slogun

Deutsch Amerikanische Freundschaft - Live in Bonn 1980 [AudioFile/Unofficial GER]

1980年の4人編成時代(Chrislo HassとWolfgang Spelmans在籍)旧西ドイツはボンで行われたD.A.F.のLive。D.A.F.が一番過激な頃だ。Boodlegだが音質はなかなか良好で、このLiveでは2ndアルバムからの曲に加え、後にVirgin Recordsからリリースされる後期D.A.F.の楽曲のオリジナルVersionも聴く事が出来る。全編にすごく良いが特に1.Co co pino、2.Verschwende deine jugend、10.Kebabträume、11.Tanz mit mirはSpelmansのノイジーなGuiterとGörlの筋肉ハンマービート、変態っぽい音を発するHassのElectronics、そしてGabiのキレまくりのVoacalと相まって発狂のエレクトリックハードコアサウンドでメチャクチャカッコよい。やはり、この頃のD.A.F.はいいなあと思う。



《Parsonnel》
Robert Görl:drums
  • Chrislo Hass:Electronics:
Wolfgang Spelmans:guitar
Gabi Delgado Lopez:vocals

《Track List》
1. Co co pino
2. Verschwende deine jugend
3. Der räuber und der prinz
4. Volkstanz
5. Ich bin die fesche lola
6. Nacht arbeit
7. Essen dann Schlafen
8. Osten währt am längst
9. El basilon
10. Kebabträume
11. Tanz mit mir
12. Ich und die wirklichkeit
13. Co co pino
14. Die lustigen stiefel
15. Nachtarbeit ist arbeit in der nacht
16. Untitled
17. Kebabträume
18. Kebabträume